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昨日無事にお別れの会を終えました。
夫が最期を過ごした施設のチャペルで、讃美歌とお祈り、聖書の朗読、そして夫を世話して下さったスタッフの皆さんのお別れの言葉で送っていただきました。

残された私達3人の家族はお父さんが元気だったら何でもない事にこれからも躓くことでしょう。
でも沢山の才能と力を持ちながら病に倒れた夫の代わりに自分たちのやりたいことをして、
楽しい事、いっぱいして生きて行こうと思います。

夫とかかわって下さったすべての方に感謝いたします。
有難うございました。



さて、これから、どうしよう・・・。
今現在はまだどちらを向いたらよいかもわからない。
幸い世の中は連休、ちょっと休んでまた夫の分まで走り回ろう。

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お別れの会

2015/04/30 Thu 12:29

明日5月1日12時半から夫が最後を過ごした施設のチャペルで『お別れの会』をします。
その前、11時から納棺式、これがお通夜の代わりだそうです。
私達家族、夫の兄弟、私の兄弟、そして夫を世話して下さった施設の職員さんたちと夫を送ります。
お別れの会の後、斎場へ行き夫は旅立ちます。

沢山の方々から、ブログ、ツイッターに優しく暖かい言葉を頂戴しました。
みんな読ませていただきました。
ありがとうございます。

明日、夫が無事に天国の父と母に会えるように、もう少しだけ見守って頂ければ幸いです。

nobi



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午前1時過ぎに、

2015/04/28 Tue 10:38

今日、夫が亡くなった。
余りに急な展開に心が追い付かない。
あっと言う間の3日間、言葉が見つからない。
言葉を探すと張りつめた気持ちが砕けてしまうので、今は蓋をしっかり閉めている。
まずは目の前にあることとひとつ、ひとつ向き合って行くだけ。

夫は住み慣れた施設の自分の部屋に居る。
施設でお別れ会をして送って貰うことになる。
私が望んだ施設でのお別れ会だけれど、、
こんなに早くやって来るとは。
ただ、ただ、寂しい。

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新しい車椅子

2015/04/16 Thu 10:35

夫の為に新しい車椅子を買った。
勿論、施設の車椅子を使っていても良かったのだけれど・・。
施設にお願いして何台か取り寄せてもらい、試して一台を決めた。
夫専用の車椅子。




理由はいろいろあるけれど、一番は私の自己満足。
夫の為に何か新しい物をゲットしたかったのだと思う。

夫が施設に入り自宅に残った私、息子、娘は『何不自由無く』とは言わないけれど、それなりに暮らしている。
夫が家を離れかなりの時間が自由になった。
夕方4時に家でデイサービスから戻る夫を待たなくてもいいし、ショートステイの予約を考えながら、仕事や、実家の父母を看に行くスケジュールを考えなくても良くなった。
私を、夫を、助けてくれていた子供たちもそれは同じ。

自分たちのスケジュール調整だけで旅行にも行けるようになった。
夫は施設でお留守番。
昔は4人で出かけた場所なのにね。

夫が病気になって封印していた楽しい事、夫が居なくても楽しい事は楽しい。
けど、なんだか後ろめたい。
そんな気持ちをちょっと薄めるために夫の為に大きな買い物をしたかったのだと思う。




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気がかかり?

2015/03/16 Mon 11:49

たまには病気のことは忘れて、

ある朝、息子が
『気になることがあるんだ、』

『何?』

ヒドイトイレだって言うCMあるでしょ?』

『うん、あのばい菌坊やかわいいよね。セリフがとっても上手。
声優さんの吹き替えじゃなくて、子役の坊やがちゃんと言ってるんですって。』


『それが、CMの最後に二人が倒れてるんだ・・・、
    どうなっちゃうんだろう・・って気になって・・。』

可愛いばい菌坊やはすごく印象に残っているけれど、その他は見とばしていて、結局商品名も記憶にはない。
お父さんと坊やが倒れているシーンなんてあっただろうか、記憶にない。

そして夜、偶然このCMのロングバージョンに行き合った。
坊やの名前はリトルベンと言うらしい。

そして確かにCMの最後、リトルベンとビッグベン親子はお隣の家に新天地を求めようとした所で力尽き倒れていた。
まあ、清潔なトイレを謳うCMだからそんな結末かもしれないけれど、
あんなに可愛いリトルベンを倒してしまうなんて、

  酷いトイレだ、

と思ったのでした。(^^)

ume1503.jpg



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奇跡!!2015

2015/02/18 Wed 10:23

インフルエンザでの『面会ご遠慮ください。』が解けて、ほぼ20日ぶりに夫の部屋へ行った。
午後のお昼寝の時間、夫はベッドで体を休めていた。

『パパ、来たよぉ~。
  久しぶりぃ~~。
    nobiさん、来たよ!!』

夫の目が開いた。
おっ?
これは珍しい。

『ほら、nobiちゃんだよ、来たよ。』

夫の顔を覗き込む。

夫の目は私を捉えてないけれど、表情がゆっくり動いて行く。

えっ?笑おうとしてる?
笑ってる?

『パパ、わかるの?nobiさん、わかるの?』

夫の表情はふわぁ~っと緩んで、泣いてるようにも見えるけど、でもこれは笑ってるに違いない。
大喜びの私は思わず夫の手を取った。

いつもなら冷たい私の手に驚いて手をひっこめたり、顔をしかめたりする夫、
何と!今日はぎゅっと私の手を握りこんだ。
夫の大きな暖かい手に彼の意思を感じた。


前回来た時は反応が薄く、目もずっと閉じたまま。
余りの無反応ぶりに、
『もう、帰っちゃうよ。いいの?』と言ったら、
いいよ。』 と返って来て、
なんてこったい、と笑うしかなく、帰って来たというのに。


『嬉しい?』

うん。』

『そっか、そう言われちゃ、しょうがない。
パパが居ない間にあったこと、話してあげるね、
まず、一番大きなニュースは~・・#&%$’=@~~~・・』

夫の目はずっと開いている。
視線はもうひとつ定まらないけれど、時々は私の顔も見えているのだと思う。

折角目を開いているので、壁の写真を外して夫の目の前に持って来た。

『ほら、これがふぅちゃん、こっちはNくん。見えてる?』

うん。』

『これはお父さま、あなたのお父さん。Y郎さん。わかる?』

今では夫がそっくりになってしまった、彼の父親の写真を示すと、

そう、そう、そう、そう、そう。』

そう言って、夫ははっきりと頷いた。

『わぁ~凄い、もう、これは奇跡というしかないね~。』

と言う訳で2015年最初の奇跡のご報告。
(*^^*)

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新しい年に

2015/01/07 Wed 10:34

遅ればせながら、
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。

あっと言うまに2014年が過ぎさって、新しい年を迎えて、もう一週間が経ってしまった。
夫の居ない2回目のお正月だった。
去年のお正月は夫が入所して一月足らず、
夫が居ないことに慣れなくて、お膳を4つ用意しては、あっ、三つでいいんだ、と落ち込んだ。
今年はさすがに『3』という数字に慣れたけれど、それでも家族で祝うお正月に夫の不在は寂しい。
もう、一年も経つんだとも思うし、まだ一年・・・とも。

去年暮れに、クリスマスの飾りを外し、空いた夫の部屋の壁に写真を沢山貼って来た。
夫に見えているのかはわからない。
でも写真を話題に職員さんに話しかけて貰えたらいいなと思う。

fami.jpg

去年の10月、夫は若年性アルツハイマー型認知症を診断と受けてから10年の節目を迎えた。
12月、特養に入所して一年が経った。
色々思うことはあったけれど、言葉にまとめることが出来なかった。

新しい年に思うことは沢山あるけれど、今年も無理せずやって行こう・・・。
いやいや、そろそろ自分を一番に走り出してもいい頃・・かな・・。
でも、それには・・・降ろせない荷が・・・
自分自身どうしたいのか、心が定まらない。


でも、今年は決断の年になるだろう、きっと。



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冷蔵庫が壊れた!!

2014/12/10 Wed 21:46

一週間に一度実家へ行く。
お昼前に着いて父、母と昼食を一緒に食べるのがいつものパターン。

昼食後、父が、

『牛乳の味が変わったみたいなんだけれど、みてくれる?』と言った。

牛乳を取り出して賞味期限を確かめるとまだ切れてはいない。
グラスに移して飲んでみる。

特に酸味があるわけでもなく、味はおかしくはない。

???

でも、冷たくない!!

えっ?

冷蔵庫が冷えてない??

一週間前、山の様に食料を詰め込んで帰った冷蔵庫だけれど、
父と母が一週間暮らして、きれいに空っぽになっている。

奥まで手を入れてみる。
冷えていない。
顔を入れて覗き込んでみる。
冷えてない。

ええっ~!?!?!?
いつから~???

慌てて冷凍庫を調べる。
冷気はあるけれど、食品は柔らかい。

冷蔵庫が壊れた!!!

これは両親にとって死活問題。
今日は母の髪を切るとか、父の通院とか、いろいろ懸案事項があったけれど、
とりあえずみんな置いて、冷蔵庫問題に専念。

あれこれ大騒ぎの末、なんとか一件落着。
一回り大きくなった冷蔵庫との暮らしが始まった。

新しい冷蔵庫はドアを押すと開くタイプ。
しかも今までと違って両開き。
父が慣れるまでしばらくかかるだろう。

でも、何でも新しい物っていい。
ピッカピカの物があると、なんだかちょっと幸せな気分になる。
さて、今週は何を詰めて行こう。

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火曜日、夫の皮膚科通いが始まった。

朝9時45分発で施設から病院までドライバーさんに送って貰う。
私は9時過ぎを目指して夫の施設へ到着、看護師さんからお医者さまに伝えるべきことを聞いて、夫と一緒に施設の車で病院へ行く。
診察が終わったら電話をして迎えに来て貰う。
処方箋をドライバーさんに渡す、診察記録は看護師さんに。
看護師さんや相談員さんに受診の状況を伝えて夫の所に戻るとお昼ご飯。
お昼ご飯を介助して帰って来る。
これが新しい皮膚科通い、火曜日のパターン。

夫の肌の状態は・・
一進一退。

悪性リンパ腫の疑いもまだ完全に消えた訳ではない。
生研(病変の組織(細胞)を採取して、それを顕微鏡で調べる検査)ではリンパ腫である証拠は何も出ていない。
けれど、血液検査では腫瘍マーカーが平常の4倍の値を示しているので、この数値の変動をみて行かなければならない。

と言う訳で、夫と血液検査室に向かった。
夫の採血は難しい。
私にはよくわからないけれど、血液を採るための血管が無い?らしい。
前回はなんとか手首の所に針を刺して採血したけれど、なかなかガラス管に血液が入って来ず、看護師さんがヤキモキ。
なんでも余り時間をかけて採血した血液は検査に使えなくなってしまうらしい。
ようやく採れた血液が有効かどうか調べるために前回は採取後10分くらい待たされた記憶がある。

今回は看護師さんによると、『産まれたばかりの赤ちゃんと同じ場所で採りますね。』
手首に近い手の甲に針が刺された。
夫は痛みを感じて逃げようとする。
気を逸らそうと私は『数かぞえようか、ひとぉ~つ、ふたぁ~つ・・』夫に声をかける。
けれど刺してちょっとすると、血液が上がって来なくなってしまった。
もう一人の看護師さんが優しく夫の血管をマッサージするけれど、勢いはどんどん落ちて行く。
と、夫が手を動かし、悲しいかな針は抜けてしまった。

『うぅむぅ~・・』
看護師さんは唸り、『もう此処しかないかなぁ・・』と再び針をそぉっと入れる。
他の看護師さんが今度も抜けないように二人がかりで夫を抑える。
私に出来るのは、
夫に話しかけることだけ。

『パパ、あのね、明日はふぅちゃんが来るって。
ふぅちゃんはね、○×△□%#&”・・・』
娘の名前を連呼。次に、
『土曜日にはN君も来るってよ。
N君はね、&!?*;++・・・』
息子の名前も連呼。

すると、ガラス管に血液が入り始めてぎゅっとつぶっていた夫の目が開いた。
子供たちの話しに夫は反応したのだろうか。
あっと言う間にガラス管はいっぱいになり、採血は終了した。
看護師さんたちは、
『やっぱりお子さんたちの話題で元気が出るんですね。よかった。』
と大喜び。

明日娘が来る予定も、息子が週末に来る予定もないけれど、
とりあえず、採血は無事終了。

夫が子供たちの名前に反応して採血が上手く行った?!
小さな奇跡ということにしておこう。


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金曜日、夫の皮膚科の受診に付き添った。
その前の月曜日に総合病院のA医師から飲み薬と塗り薬を処方され、その後の様子を診てもうらう為だった。

その朝、夫は37度前半の微熱、そして肌の状態も月曜日とあまり変化はなかった。

それを受けて、A医師は
今回の処置で改善が見られなかった。
原因がわからないと治療方針が決められない、
よって、明日大学病院に行って検査をして下さい。
紹介状を書きます。
土曜日なので、開いている皮膚科は○×医大です。


私は迷った。
何より、私にとって一年で一番忙しい時期、明日の土曜日の時間を夫に取られてしまうとその後すべてのスケジュールが狂ってしまう・・。
でも、もしこれ以上悪くなってまた入院治療ということになれば、夫はもう寝たきりになってしまうかもしれない。
私は翌日大学病院へ行くことを決めた。

けれど車椅子移動の夫が土曜日に病院へ行くというのは健常者とは訳が違う。
土曜日は施設の運転手さんはお休み、車の手配ができない。
看護師さんの付き添いも難しい。
初めての病院へ私ひとりでこんなに重たい車椅子の夫を連れて行くのは・・・・。
紹介状が出来上がるのを待つ間、付き添って下さった施設の看護師さんとどうしたらいいか相談した。

その時はまだ、金曜日のお昼前だったので、その日の午後のうちに大学病院に受診できないだろうか。
できれば、○×大学病院よりもう少し近い、△□大学病院に。
看護師さんは施設の相談員さんと何度も連絡を取って、両大学病院に金曜日のうちに受診できないか交渉して下さったが、結局どちらも受けてはもらえなかった。

そして土曜日の朝、相談員さんが送り迎えをしてくださることになり、娘が一緒に病院へ行くことで落ち着いた。
やれやれ。

そして、翌日土曜日の朝、たどり着いた大学病院で言われたことは、

紅斑の原因はほとんどの場合わかりません。
重度の患者さんが、この病院へ通うのは大変でしょう。
検査治療は近くのA総合病院でするのが良いと思います。
このB医師が毎週火曜日A総合病院で診察しています。
A総合病院のA医師には手紙を書きましょう。


もちろん、私に異論があるはずはない。
いつものA総合病院は施設から車で5分、毎日のように施設から患者さんが行っている。
夫もお仲間に入れてもらえばいい。
そして、何より、B先生が火曜日担当、ということは
火曜日の受診の次は火曜日。
もう、月曜日に行って、次は金曜日に来てください、と言われることはない

土曜日出勤の相談員さんが迎えに来て下さるのを待つ間、
エントランス横のタリーズで夫と久しぶりにカフェラテを楽しんだ。

遠い大きな大学病院へ来た甲斐があったというものだ。


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さて、どうしよう、

2014/10/29 Wed 13:03

土曜日、お天気に恵まれたイベントが終わろうとした時、携帯が鳴った。
見ると、夫の施設から。
施設からのイレギュラーな連絡はたいてい何か良くない知らせ、
ただの連絡事項なら家の電話にかかってくる。

案の定、夫が熱を出しているという知らせだった。
37度台、そんなに高い熱ではない。
ただ、夫は蜂窩織炎という病歴を持っているので油断は禁物。
主治医から出ている抗生剤を飲ませて様子を見ているという連絡だった。

週が開けても夫の熱は下がらず月曜日、7月に入院した総合病院に受診することになった。
私は実家へ行く日だったので付き添うことが出来ず、すべて職員さんにお願い、お世話になった。

火曜日、ほんとはこの日は月に一度の外出の予定だった。
バリアフリーの義姉の家でランチ、4時間ほど≪お家に帰って来た気分≫で一緒に過ごすつもりでいた。
残念だけれど大事をとって外出は延期することにした。
夫のために空けた一日なので朝から施設に行き、看護師さんと相談員さんから受診時の詳細を聞いた。

 血液検査の結果、肝機能、腎機能は問題ない。
 炎症に対して 白血球数は多いが、炎症反応は低い値。
 今後炎症反応も悪化する可能性が高いのでステロイドが処方された。
 金曜日にもう一度受診をしてこれ以降の治療について相談をする。

もちろん、金曜日には私も一緒に行って皮膚科の医師の話しを聞くことになった。

医師が問題だと思っているのは、皮膚の炎症の原因がわからないこと。
原因がわからなければ治療の方法も確定できないことだという。
全くもっともで異論は全くない。
ただ・・・
原因をみつけるためには検査入院が必要となるだろう。

 入院、

夫にとって、私にとって一番避けたいこと。
7月の入院の後、明らかに夫の表情の動きは少なくなった。
飲み込みはほとんど戻って来たけれど、立つことはできない。
歩くなんて、今では夢の夢。

またここで入院したら、次はどんな衰えが来るのか、想像するのも恐ろしい。
けれど、今のまま有効な治療がみつからなければ、又蜂窩織炎が再発し、もっと長い入院が必要になるかもしれない。
蜂窩織炎は必ず再発するのか??
するかもしれないし、しないかもしれない、そんなのわからない・・・
検査入院をしたら必ず原因はみつかって、有効な治療を始められるのか?
これもわからない。

例えば、例えとして良くないのは分かっているけれど、
例えばもし夫が癌と宣告されたなら、
多分、命を長らえるための積極的な治療は望まない。
出来るだけ変わらない環境の中で、痛みや苦しみのない方法で残された日々を過ごして欲しい、そう言えるだろう。
(今はそう思う。現実にそうなった時、また違った事を言うかもしれない。
 でも今はそう思う。)

今目の前の夫はまるで包帯を外したミイラのようにボロボロな肌、仮装しなくてもこのままハロウィンパーティに行けそうな位、ひどい状態でいる。
痒いのだろう、フランケンシュタインみたいにゆぅっくり手が動いて、頭や足を掻こうとする。
なんとかしてあげたい。

検査を受けて原因を探す必要はあるだろう。
出来るだけ短い入院をお願いするしかないのだろうか。
さて、どうしよう。
迷っている。

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奇跡!カム!

2014/10/23 Thu 18:18

『パパ!奇跡を起こそうよ!!』

『ふむ。』

『momoさんのとこも、スリブリさんちも奇跡ザックザクだよぉ~』

『ふむ・・ぅ・・・。』

夫に会いに行くと必ず言ってみる。
夫は毎回頷いてくれる。
けれど、残念ながら未だ報告できるような『奇跡』は起こせずにいる。

7月の退院後、夫の状況は悪化した。
だって、11日間もベッドでずっと過ごしたのだからしかたない。
入院前は歩行器で療法士さんと歩く訓練をしていた。
30m歩いたと報告も受けていた。
けれど、今夫は一瞬立つことも難しい。

排せつもトイレに行けずにベッドの上でのおむつ交換になってしまった。

食事に関しても、一時は飲み込みも悪くなって、夫はこのまま食べることを忘れてしまうのだろうかと心配した。
口元にスプーンを持って行っても口を開けず、無理やりスプーンで口をつつくと上を向いて仰け反ってしまう。
それでも無理矢理口に入れると噛もうとはせず、口の中に溜めこんでしまう。
特に水分は口に含んでも河豚のようにほっぺを膨らませたまま、飲もうとしない。
そして、咳でもしようものなら・・・・
(><)
そんな訳で夫の食事は刻み食になった。
刻み食は文字通り、みんな刻んであるので、元のメニューが何なのかわからない。
それぞれの料理がそれぞれのお皿に載ってはいるけれど、
みんな細かく切ってあるので、みんなおんなじに見える。
目ではとても美味しそうには見えない。
でも数回噛めば飲み込むことができる。
それがよかったのか、少し涼しくなった頃から夫は噛むことを思い出した。
最近でもたまに口を開けないことがあるけれど、それでも大抵完食することが出来る。

私としてはそろそろ普通食に戻してもらいたいけれど、刻み食の方が食事時間が短縮できるのは事実。
一人の職員さんが何人もの当事者の方に一匙ずつ食べ物を運んでいるのを見るとちょっと言い出しかねている。
私が食事の介助に行ける時だけでも戻してもらおうかなと思う。

glass.jpg

秋はガラスのイベントが多いので、毎年走り回っている。
今年もそれは同じ。
けど、去年の今頃夫が歩けなくなり、あんなに大変だった時期に頑張れたことが今年は全然気持ちがついて行かない。
夫が入所してもうすぐ一年も経つのに未だ抜け殻状態から脱出できない。
解決してくれるのは時間しかない、今までの経験から知ってはいるけれどちょっといい加減に抜け出さなくては。

そろそろ奇跡、起きてもいい頃だと思う。


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蜂窩織炎での退院時、担当医師に夫の肌荒れ、炎症の原因のひとつとして、悪性リンパ腫も考えられると言われた。
幸い検査の結果はマイナスということでほっとしたけれど、結果を待つ間、いろいろ考えた。

もしも、悪い結果が出た時にはどうしたら良いだろうか。

夫は母親を悪性リンパ腫で失っている。
もう、25年程前のことだけれど、その治療の大変さを知っている。
夫に苦しい治療をすることが病気を治すために必要だ、
元気な明日の為に頑張ろう、と伝えることは出来ない。
夫はつらい治療をただ、ただ、つらいと感じるだけだろう。
またそのつらさを彼は私達に訴えることも出来ない。

積極的な治療はしない。

夫が認知症以外の病気、不治の病に侵された時の選択として考えていた。

でも病気になった人がいて、その治療方法もあるのに黙って見ているなんて本当にできるのだろうか。
幸い今回は決断を免れたけれど、またいつこの状況がやって来るかわからない。


先日、私と同じ立場、ご主人を介護している友人と久しぶりに会うことができた。
ご主人のショートステイに合わせて夏の前から予定していたディナーだった。
大学病院の家族会で知り合い、東京の若年性専門のデイサービスにも一緒に通った。
まだみんなが元気に歩けた頃、季節ごとに遠足に行き一緒に遊んだ仲間だ。

お会いするのはずいぶん久しぶりで、兎に角、近況をアップデイト。
メールでおおまかの状況は伝え合っていたけれど、詳細を知るとついため息。

Y子さんのご主人は今、胃瘻をされている。
元々は流行り風邪からの肺炎。
病院では気管支炎と言われ自宅で療養していたものの熱が下がらす、在宅診療の医師を頼むと
『肺炎の恐れ大、救急車を呼ぶように』
と言われ、入院。
肺炎は順調に回復したけれども嚥下の悪さは改善せず胃瘻に踏み切った。

と、大体の流れはこうだけれど、この経過の中でY子さんには沢山の後悔がある。
あの時、こうしていれば、ああできていたら、きっと胃瘻までは行かなかっただろう・・・。

認知症の人の病気治療は難しい。


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蜂窩織炎で発熱、11日間の入院治療後、とりあえず夫は退院した。

認知症の人が認知症以外の病気治療をするのには難しいものがある。
夫の入院中、
認知症に対するケアをどれだけしてもらえるのかすごく心配だった。

昨年の11月、特養に入所準備の各種検査を受けるためにこの病院に来たことがある。
検査は丸一日かかり、事務の職員、検査技師、看護師、医師、病院で働く人たちを一日見ていた。
その時の経験では、重度の認知症の人への対応は安心できるものではなかった。

『○○さん、ここに座って下さい。』
『こちらに横になって下さい。』

カーテンの向こうで看護師さんの声。
しかも3人がかり。

そんなこと口で言っただけで出来るのなら、特養になんか入らないでしょ、
ちゃんと段取りがあるんだけどな・・・、
だから手伝いますって言ったのに・・・

夫も私も娘も疲れ果てて帰って来た記憶がある。

今回、夫にしても、熱が高くて苦しい、両腕も腫れあがって痛みがある。
何故突然いつもと違う環境に移されたのか、もちろん理解していない。
今の苦痛を取り除くために入院しているということをわかってもらうのは難しい。
わからないながらも混乱しているだろう。
痛い所を触られれば、手を振り払ってしまうにちがいない。
いつものように穏やかにいてくれるだろうか。

また、食事もすごくゆっくりになっている。
彼のペースに合わせないと口を開けてくれない。
彼を待って食べさせてもらえるのだろうか。

蜂窩織炎の治療よりも重度の認知症の夫が病院でどう暮らして行けるのか、
ずっと心配だった。

退院時、夫の担当医から、今回の蜂窩織炎は治ったけれど、原因が突き止められていないので、再発の恐れがある、
原因を突き止めるために大学病院での検査を、と勧められた。
担当医が予測した病名は簡単な治療で治るものではなかった。

認知症の人が認知症以外の病気になった時、どう治療をするのか、
夫にとって、何がよいことなのだろう、
考えている。

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昨日、夫は施設の近くにある総合病院に入院した。
お医者さまに心配な状況ではないと説明を受けていることをまずはお知らせしたい。
施設から毎日点滴に通うのは大変なので、入院して治療をするのがよいだろう、とのこと。
蜂窩織炎の他に熱の原因があってはいけないので、血液検査やCTなど内科の検査もして他には心配な点がないこともわかっている。

病名は『蜂窩織炎』聞きなれない言葉だけれど、
要は、皮膚の感染症で炎症による発熱や痛みが伴う。

夫の場合は両腕が炎症を起こしていている。
お医者さまは、今日、明日中には熱が下がるだろうと言われるけれど、
結婚して以来夫が熱を出したという記憶がないくらい元気な人だったので、
本人も体も高熱にびっくりしている様子。
目を閉じて口呼吸、辛そうだ。

一昨日、施設に駆けつけた時は娘の声に反応して薄っすら目を開けたし、何より、でっかいゼリーを2カップ完食したので余り心配をしていなかった。
昨日は、一日病院のあちこちの科で検査を受けて、やっと入院ベッドにたどり着いた所で会ったのでほとんど反応はなかった。
それでもうるさく声をかけたら、少し首を動かし、声も出してくれた。
今日、夕方行ったらきっともう少し元気になっているはず。

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一昨日、私は実家に居てすぐには動けなかった。
施設の看護師さんが付き添って日曜日の緊急外来に連れて行って下さり、細かな報告をして下さった。
昨日は朝から仕事で抜けられなかったけれど、夕方私が病院に到着するまで、看護師さん、相談員さんが付き添って対応していただいた。
入院セットも用意して下さり、私の仕事は家族としての書類記入だけ。
安心してお任せできる施設とスタッフのみなさんに感謝、感謝、感謝。
原因・治療・サプリメント | コメント(2) | トラックバック(0)

約束

2014/06/21 Sat 17:19

学生時代の友人が亡くなった。
62歳は余りにも若すぎる。
数年前、彼は癌を発症し、ずっと病気と闘っていた。

        本当に癌だったら良かったのか、

何度も入院したけれど、いつも彼は帰って来た。
ちょっと入院が長引いても、いずれ帰って来ることに慣れてしまった。
また、もう一度会えることを私は疑っていなかった。

でも気づくべきだった。
 
去年の秋も深まった頃、彼からメールが届いた。

今後の治療方針を、
毎日の快適さは差し置いてできるだけ長く生きるか、
毎日の快適さを大事にして長く生きる可能性を少なくするか、

彼は選択を迫られていた。

私はこのメールに返信することができなかった。

彼は、自身で決めなくてはね、と書いていた。
私に何が言えただろうか。

彼は学生時代の仲間、普段、私の日常生活の中には居ない。
何かあったら、久しぶりに集って楽しい時間を過ごし、また自分の場所へ帰って行く。
それでも彼が居なくなることを私は恐れた。
辛い治療でも、少しでも長くそこに居て欲しい、
声をかけたら返事をしてくれる、その場所に居て欲しいそう思った。

でも、それはつらい治療を強いること。

明確な私の思いを送らないままメールの話題は変わり、
結局、彼の下した決断を聞くこともなかった。

4月にみんなで会った時、
ベーシストだった彼は基礎からベースのレッスンを受け直していると言った。
次回の集まりでは彼のベースを披露すると約束した。

その約束が果たされることはない。

tonnbodama40522H.jpg

 
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何度も言うけれど、夫が「若年性アルツハイマー認知症」と診断された時、
私は50代半ばで認知症になる事があるなんて知らなかった。
認知症」という言葉もまだなく、「痴呆」とか「ボケ」と言われていた頃、まだ、映画でもTVドラマでも取り上げられていなかった10年前のことだ。

  余談だけれど、認知症と言う呼び方は夫の親友が係った仕事だった。 
  y001021.gif 『認知症』

今思えば診断を受ける2年くらい前にはすでに夫の異変は始まっていた。
忘れ物が増えたり、定期や財布を失くしたり、
   そして失くしたはずの物がいつの間にか戻っていたり。
失くしたはずの定期が何故そこにあるのか、夫は説明出来なかった。
沢山のサインがあったのに私は見逃し、打ち消して時間を過ごしてしまった。
だって50代でアルツハイマーなんて・・・・思いもよらなかったもの・・・。

夫が病に倒れて私達家族は経済的支柱と精神的支柱を失った。
サラリーマン家庭だったので、夫が働けなくなるということは即収入が絶たれるということ。
障害年金が下りるまで、しばらく収入のない暮らしが続いた。
出ていくだけの家計はほんとにつらい。
心がすさむ。

ある時、夕飯の支度をしながら胸にどぉ~んと重いものがあるのを感じていた。
何だろう?・・この胸のつかえ・・・
  『マヨネーズだっ!!』
いつも近くのスーパー2軒の値段をチェックしてから必要な物を買うのに、その日、マヨネーズの特売を見逃して100円近い損失(?!)を出したのだ。
それが数時間経っても胸の奥に引っかかっていた。
当時の私はこんなことも乗り越えられなかった。

若くして父親が、夫が認知症という病に倒れてつらいのは、家族は精神的支柱も失ってしまうこと。
診断当時、娘は大学受験生、息子は大学院への進学を希望していた。
独り立ちするにはまだまだ時間もお金もかかる時期。
此処に父親が、夫が居るのに その声を、心を聞くことが出来ないもどかしさ。

この10年間私達家族はずっと若年性アルツハイマーという病気と向き合い、戦ってきた。
どんな時もお父さんの病気は頭の上に、肩の上に、胸の中にある。
それなのに、病気の当事者である彼はいつの間にかその戦いの輪の中から消えてしまった。
病気の進行と共に彼から病識がなくなっていく。
それは家族にとってつらく、悲しく、寂しいことだった。
病気と闘う雄々しい姿を見せて欲しい、せん無いことと知りつつその思いをなかなか消すことが出来なかった。

y001021.gif 癌だったらよかったのに

そんな風に思った時期もあった。
少しずつ力を失って行く夫を守りながら時が過ぎ、今その思いは消えている。
それでも、もし、病気にならなかったら、という思いが消えることはない。

夫が病気にならなかったら、私達家族の姿は今とは違っていただろう。
それでも、子供たち、私にはまだまだ明日何かをする時間も力も残っている。
今、夫はお婆さんたちに囲まれながら施設で静かに座っている。
夫にもやりたいことが沢山あったはず。
彼の無念を思うともう少し、頑張ろう、 と、 思う。

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そしてパンツ!

2014/05/22 Thu 11:28

夫の特養からは毎月ニュースレターが送られてくる。
施設の活動スケジュールや報告、家族会の便り、ケア計画表、領収書、A4の封筒にどっさりやって来る。
面会禁止期間中に届いたその中に、夫を担当して下さる職員さからのメッセージが入っていた。

『・・・・・次回お越しの時にパンツをご用意いただけますでしょうか。』

 パンツ!!

パンツって、トランクスとかブリーフとか、いわゆる下着だろうか。
それともズボン?
夏用の涼しげなズボンがそろそろ必要な時期ではある。

悩んでもしかたないので、すぐに施設に電話をしたけれど、担当の職員さんは夜勤明けということで捕まらなかった。
代わりに答えて下さったケアマネさんは
『下着のことだと思います。できるだけ紙おむつを使わないで、というのが施設の方針なので。』

 ~なんということでしょう~♪

夫が一人では用が足せなくなり悩んで悩んで、
     迷って迷って、
        躊躇しながらも
リハビリパンツ(我が家では安心パンツと呼んでいた。)を使い始めて4年近くが経つ。
夫のパンツが箪笥から消えて久しい。
もう夫には用の無いものと思っていた。

それなのに、夫が再び~パンツ~を着用する日が来るなんて!!
なんと嬉しいことだろう。

もちろんパッドは当てるということだけれど、それでもゴアゴアな紙パンツよりもずっと心地良いに違いない。
肌の弱い夫にとって綿の下着は安心だ。

早速下着売り場に出かけた私は沢山のパンツを前にはたと立ち止まった。
そこにはいろんな素材、デザインのパンツが並んでいた。

素材は化繊でなく綿。
形は?
とりあえず、パッドを付けるならブリーフ型がいいかなと2枚組をひとつ。
やわらかなジャージ素材のボクサーブリーフというのがあったので、これも2枚組を。
でもずっと車椅子に座っているわけだから緩い方が楽かもしれない、と、トランクス型も。

担当職員さんと一月ぶりに会って、開口一番

『○○さん!!パンツ!!』

久しぶりのご挨拶もそこそこにパンツの相談。
そして、ブリーフ型がいいだろうと。

残りのボクサーとトランクス?
大丈夫、我が家には息子も居る。

かくして息子はにわかパンツ大臣になったのでした。
(^^)





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やっぱり奇跡

2014/05/20 Tue 15:43

特養の面会禁止が解けて、約束通り?一番に電話をいただいた。

ツイートしたけれど、夫はふんわり元気だった。
一月ぶりに私と娘の声を聴いて、
   顔を見て、
何かスペシャルな反応があるかな、と淡い期待を抱いて出かけたけれど、そこに居たのはひと月前に別れたまんまの夫だった。

奇跡は無し。

いつもと同じ。

車椅子を押しながら耳元で名前を呼ぶと『ふむ?』と返事はしてくれる。
歩きながらいろいろ話かけると、やっぱり『ふむ。』とうなづいてくれる。
でも表情に大きな変化はない。
広いリビングから個室に戻って
ココナッツオイルで作ったチョコファッジを口に放り込んで、音楽をかける。
向かい合って座る頃にはかすかぁ~に表情が和らいで・・・、

いつもと同じ。

一月会わずにいても夫は今までと変わらず待っていてくれた。
これは私にとってはひとつの奇跡だと思う。

そして変わらず夫をケアして下さった施設と職員さんたちにも感謝。

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近況

2014/05/11 Sun 12:22

夫の施設で疥癬が発生し『面会をご遠慮ください。』との連絡を受けてひと月近い。
なので、夫の近況は・・・わからない。

夫自身は疥癬には感染していなくて、特に連絡をしなくてはならないような変化もない、ようだ。

最初の2週間は夫に忘れられてしまうのではないかと心配した。
でも、今の夫の脳の伝達速度を考えると一週間が一日くらいかなと思い直した。

でもこれだけ夫の顔を見ないと、今度は私が夫を忘れてしまいそうな気がしている。
今は終息宣言が出るのを待つしかない。





面会禁止が解けて夫に会ったら報告することがたくさんある。

いちばん心配なのは、叔母(母のすぐ下の妹)の肺炎。
突然の知らせだった。
風邪を拗らせ入院したものの、原因菌が特定出来ないので薬も決められない。お医者様も首を傾げて、今は本人の体力が頼り、ということだった。
2週間以上経っても重篤な状況はあまり変わっていない。
独り身なので、もう一人の叔母(末の妹)がずっと傍に詰めている。
私の役目はこの末の叔母をケアすることだと思っている。

そんな中、母の不正出血(今は治まっている)、
私も右足指の付け根にPCのキーボードを落とし、腫れと痛みで靴が履けない。
娘のひとサイズ大きな靴を借りてガバガバと歩いている。

いつも私達家族のために心を砕いてくれる義姉も坐骨神経痛に肩の痛みが加わり動けずにいる。

父は税務署から修正申告をするようにと通知を受けて、いたく傷ついている。
確定申告時に今年から徴収の復興税の計算を忘れた、いえ、知らなかったことにショックを受けている。
たった一週間以内に修正申告をして差額を納めなくていけないという通知書、88歳父は修正申告の書類を手に入れるだけでも困難。もう少し余裕を持って通知して欲しい。お役所仕事です。
年寄りが新しいことをするのは難しい。きっと今年はこういうお年寄りがたくさん居るだろうと思う。

娘も体調がすぐれず、今、周りでひとり元気なのは息子だけ。
娘の言う通り、息子に何か『わざわい』が降りかからないうちにお祓いに行った方がいいかもしれない。

と、今仕事で出かけた息子から『定期忘れた、orz』とLINE。
これで、彼にも災難が降りかかったこととカウントしておこう。
往復1000円以上の出費は貧乏な彼にとって致命的だ。

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