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何度も言うけれど、夫が「若年性アルツハイマー認知症」と診断された時、
私は50代半ばで認知症になる事があるなんて知らなかった。
認知症」という言葉もまだなく、「痴呆」とか「ボケ」と言われていた頃、まだ、映画でもTVドラマでも取り上げられていなかった10年前のことだ。

  余談だけれど、認知症と言う呼び方は夫の親友が係った仕事だった。 
  y001021.gif 『認知症』

今思えば診断を受ける2年くらい前にはすでに夫の異変は始まっていた。
忘れ物が増えたり、定期や財布を失くしたり、
   そして失くしたはずの物がいつの間にか戻っていたり。
失くしたはずの定期が何故そこにあるのか、夫は説明出来なかった。
沢山のサインがあったのに私は見逃し、打ち消して時間を過ごしてしまった。
だって50代でアルツハイマーなんて・・・・思いもよらなかったもの・・・。

夫が病に倒れて私達家族は経済的支柱と精神的支柱を失った。
サラリーマン家庭だったので、夫が働けなくなるということは即収入が絶たれるということ。
障害年金が下りるまで、しばらく収入のない暮らしが続いた。
出ていくだけの家計はほんとにつらい。
心がすさむ。

ある時、夕飯の支度をしながら胸にどぉ~んと重いものがあるのを感じていた。
何だろう?・・この胸のつかえ・・・
  『マヨネーズだっ!!』
いつも近くのスーパー2軒の値段をチェックしてから必要な物を買うのに、その日、マヨネーズの特売を見逃して100円近い損失(?!)を出したのだ。
それが数時間経っても胸の奥に引っかかっていた。
当時の私はこんなことも乗り越えられなかった。

若くして父親が、夫が認知症という病に倒れてつらいのは、家族は精神的支柱も失ってしまうこと。
診断当時、娘は大学受験生、息子は大学院への進学を希望していた。
独り立ちするにはまだまだ時間もお金もかかる時期。
此処に父親が、夫が居るのに その声を、心を聞くことが出来ないもどかしさ。

この10年間私達家族はずっと若年性アルツハイマーという病気と向き合い、戦ってきた。
どんな時もお父さんの病気は頭の上に、肩の上に、胸の中にある。
それなのに、病気の当事者である彼はいつの間にかその戦いの輪の中から消えてしまった。
病気の進行と共に彼から病識がなくなっていく。
それは家族にとってつらく、悲しく、寂しいことだった。
病気と闘う雄々しい姿を見せて欲しい、せん無いことと知りつつその思いをなかなか消すことが出来なかった。

y001021.gif 癌だったらよかったのに

そんな風に思った時期もあった。
少しずつ力を失って行く夫を守りながら時が過ぎ、今その思いは消えている。
それでも、もし、病気にならなかったら、という思いが消えることはない。

夫が病気にならなかったら、私達家族の姿は今とは違っていただろう。
それでも、子供たち、私にはまだまだ明日何かをする時間も力も残っている。
今、夫はお婆さんたちに囲まれながら施設で静かに座っている。
夫にもやりたいことが沢山あったはず。
彼の無念を思うともう少し、頑張ろう、 と、 思う。

tonnbodama40522b.jpg


認知症家族の思い | コメント(9) | トラックバック(0)
コメント
nobiさんの人生を……
ずっとずっと読ませてもらってます。グループホームで、働いてます。これからは【少〜し】私たち
ヘルパーを頼ってもらって
ご自分の時間も大切にしてください。
これからも応援してます。
No title
愛さん、こんにちは。

応援して下さってありがとうございます。
(*^^*)

夫が思いがけない病に倒れいろんな目にあいました。
けれど、彼が元気だったらなかっただろう素敵な出会いがたくさんありました。
同じ病気のお仲間もそうですが、介護に係わる職員さんたちとの出会いもそのひとつです。

家族だけで介護をするのは不可能です。
プロフェッショナルの力が必要です。
夫の介護を手伝って下さる職員さんたちにはどれだけ助けられていることか、ほんとうに有難く思っています。

愛さんもお仕事頑張って下さい。
介護家族はみんなヘルパーさんを頼りにしています。
今、アルツハイマーの検査を受けようか迷っているところです。
No title
しんちゃんへ、

なんとお返事しようかずっと考えています。
月並みなことしか言えない気がして。
No title
私の夫も63歳の時にアルツハイマーと言われました。
やはり、2~3年くらい前から「?」と思うことはありまた。旅行に行って目的の場所がわからず帰ってきたり、通帳や財布を無くしたりなくしたはずの財布をもっいたり等々
あれから7年ゆっくり、ゆっくりだけど確実に進行して行ってます。
No title
maruさん、

10年経って、私の夫はもう家族の顔もわからなくなりました。
それでも昨日、一週間ぶりに会いに行ったら小さな笑顔を見せてくれました。
病気の進行も時の流れも止めることはできませんが、それでも時々に出来ることをして行くしかないのかな、と思うようになりました。

maruさんもどうぞご自愛ください。
ブログ、読ませていただきました。
私は若年性アルツハイマーの父を持つ者です。
診断されてから3年半くらい経ちます。

幸い共働きだったので家計には困らなかったのですが、母はまだ働いていますし私も社会人になりたてなので日中はデイサービスにお願いしています。
朝は母が朝ご飯を用意してからでかけてるのですが、朝の忙しいときに父が食事をよくこぼしていたりするので、母はヒステリックになり、父は出来ない自分に落ち込んでいます。

そこでアドバイスいただきたいのですが、何かご飯の出し方や種類(こぼしにくいもの?など)で気をつけていた事などあったら教えていただけませんか?(>_<)
私も母も、管理人様のように相手を思いやれるようになれるよう頑張りたいです。
よろしくお願いします!
No title
いつきさん、こんにちは。

お返事遅くなりました。
どうしたらいいかな、って考えていました。
診断から10年が経ち、あの頃はどうしていただろうと。

夫の場合は食事をこぼす、ということはあまりなかったように思います。
と言うのも夫はお箸使いが上手く、かなりの時期までサンマ等も家族の誰よりきれいに食べていましたから。

そう言えば、デイでお向かいに座った方のお皿に手を延ばして食べてしまい、そのお婆さんにえらい怒られたという事がありました。
これは、認知症の人はすぐ目の下にある食べ物を認識できずちょっと先に目が行くので、手を延ばしてしまうのだと職員さんから教えて貰いました。
その後は職員さんが気を配って下さって、一度だけの事件になりました。

家では、
白いお皿に載った白いお豆腐などは見つけられなくなって残してしまうので、見つけやすいようにお皿の色を変えたりしました。
また、お子様ランチのプレートみたいに仕切りがついている大きなお皿を手に入れて、夫の食事をその上に盛りつけてあげると食べ物を見つけやすくなったみたいです。
そのうちに、食べ物をテーブルの上に直に置くことが増えたので、
いわゆる、ランチョンマットよりちょっと大きいくらいのお盆を用意して、夫用の料理を載せました。食べ物を直に置いても、こぼしても、そのお盆の中ならさっと洗えば済むので楽だったと思います。現在私の母もこのお盆を使っています。
いつきさんのお父様にはまだ早いですが、母は食事用の介護エプロンをつけて、エプロンの裾をこのお盆の下に敷き込んで食事をしています。これで、食べこぼしを床に食べ物を落とすことなくエプロンで受けられます。

最後に老婆心ながら、
診断から間もない頃は今までとそんなに変わりはないのに少しずつ出来ないことが増えて行って、ご本人もご家族も戸惑うことが多いと思います。
もし、まだ『家族の会』に参加されていないのならば、参加することをお勧めします。
『家族の会』は知恵の宝庫です。
同じ悩みを持つ方にも会えますし、悩みを解決した方にも会えると思います。

たいしたお役に立てずにごめんなさい。
nobi様

お忙しい中お返事してくださりありがとうございます!
早速母にこんなアドバイスいただいたとお話しました。
思い当たる事が結構あったみたいで(>_<)
今までも1プレートにご飯やおかず全て乗せていましたが、次からはお盆もつけてやってみたいと思います。
あと、私自身父が診断を受けて3年半と思っていたのですが、その前から仕事で失敗したり休職してたりと症状は出始めていたので5年くらいになる、と母に言われました。
今後ますます症状は悪化しますし、先輩方の知恵をお借りしなくてはやっていけなくなるでしょう。
家族の会についても、母と相談したいと思います。
親身になってお話を聞いてくださり大変感謝いたします。
近頃風邪が流行っておりますが、nobi様が体調を崩されないようお祈りしております。

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