一気になんて進まないよ

2014/02/20 Thu 11:38

夫は施設の広いリビングで穏やかに座っている。
会いに行っても最初は反応がない。
声をかけながら車椅子を押して彼の部屋に戻る。

部屋に落ち着くとまず、娘が作ってくれたココナッツオイルファッジを夫の口に放り込む。
15分か20分すると彼の目が動き出して表情が戻って来る、
                     と私は思っている。
ココナッツオイルとは関係なく、彼の脳の伝達速度では、私を思い出すのにそれくらいの時間が必要なだけかもしれない。
いずれにしても、夫の表情は和らぐ。

そして、CDをかけながらあれこれ娘や息子のこと、家のこと、一方的に話す。

時々、

『ねぇ、パパ、これどうすればいいと思う?』言ってみる。

すると、これも時々、

『それほむにゃ$&#やら@&!!*てふ+&・・・』

と答えてくれる。

最初の頃は、『えっ?なに?もういっぺん言って!』
と迫ったけれど、せんないことを学んだので、

『そっか、なるほど、そうしよう。』と返す。

ゆるぅ~い時間が過ぎて行く。

夫の反応は私一人よりも娘と一緒の方がずっといい。
声も聞かせてくれるし、笑顔も見せてくれる。
娘と私のたわいないおしゃべりがきっと彼にとって心地よいのだろうと思う。

この間は、私と娘が話して笑っているところへ、

 夫が

『$#&‘*+・・』と割り込んで来た。

『え?、パパ何?何て言ったの?何かしゃべってみて、』と娘。

すると、はっきり、

『いいよ。』
と夫の声が聞こえた。

もちろん娘も私も夫の意味の合う言葉におおはしゃぎ。
それを見た夫も大笑顔。


施設に入ると病状が一気に進むとよく言われるけれど、夫にはあまり変化を感じない。
すっかり車椅子生活だし、一人で立つこともできない。
でも、歩けない状態になってしまったから入所せざるえなかった訳なので、この点は仕方ない。

でも、一緒に過ごす時間の反応は変わらない。
もしかしたら彼の中ではまだショートステイ中なのかもしれない。
まだ入所した訳じゃなくて、いずれお家に帰るつもり。
だから、症状が一気に進む、なんてことは無い。

これは、

『夫を送り出す最後の夜、最後の朝』の儀式をスキップしたせいかもしれない。

うん、そう思っておこう。

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コメント
No title
物忘れが始まってもコントロールできる場合もあるようです。
母は85歳前に物忘れが気になり始めましたが、その後なんやかんやと試し、90歳で亡くなる少し前には、物忘れを感じなくなる程度になっていました。ご本人が何かの形で興味を持つことができれば、脳の活力は変わるようです。とは言っても意図的にできることかどうかは、???ですが。
ココナッツミルク 信じて、無理のない範囲でお続になられては・・・。お父上にもご一緒にお勧めすると、奥様に飲んで頂くことを忘れにくいかも・・・、お試し済みですよね。なにより介護側の気持ちにプラスになると思います。
No title
コメント頂きながらお返事遅くなってしまってごめんなさい。
85歳でもちゃんとご自分をコントロールなさるなんて素晴らしいお母さまですね。
父も自分の衰えは自覚しているのですが、もうひとつ現実味が薄くて相変わらず勝手気ままな暮らしを続けています。
認知症が一日でも早く解明されて良いお薬が開発されるといいなと思います。
よくがんばりましたね
本当にお疲れ様でした。
やれるだけのことはしたのです。
もう楽になっていいんですよ。
よく頑張りましたね。

私の母も若年性アルツハイマーでした。
母もご主人様と同じような経過で病気が進みました。
父と二人で介護していましたが、やはり8年くらいで車椅子生活になりました。
10年経過したころ、今度は介護に疲れた父が認知症になりました。
ちょうどそのころ私は主人と離婚したため、フルで働いていました。
二人の介護は半端じゃなく重荷になりました。
睡眠時間ゼロという日が何日か続いて、仕事も失敗続き、もう限界だと思いました。

特養に申し込みました。
母を捨てたという罪悪感は重く、何日も泣きましたが、開放感と安心感で私は生き返りました。
父の認知症も、ストレスから開放されたのが良かったのか、一人で生活できるまで回復しました。

母の特養は、2ヶ月間お世話になりましたが、その後胆嚢炎で入院。
経過が良くなくてその後2年間は入院生活。
最後は誤嚥性肺炎で亡くなりました。

母が若年性認知症と診断されて12年間。
みんな頑張りました。
毎晩枕を抱えて泣いて、ボロボロになって、いろいろなものを諦めて、手放して・・・

母が亡くなって今年で3年。
やっと認知症になる前の母の顔、表情、声、言葉などが思い出せるようになりました。

(病気になってから、昔の母は思い出すことができませんでした。
最後の方は「この生き物はいったい何者?」とまで思えました。
もう母を思い出すことはないと思っていました。
でも、ちゃんと思い出すんですね。)

何も答えない母に話しかけるクセはまだ残っています。なにかある度に母の写真に話しかけています。(微笑)
No title
じゃみらさん、
コメントありがとうございます。
じゃみらさんもお母様もご家族も大変な時間を過ごされましたね。
時を経て得られた平安、私も追いつきたいです。

この所、夫に会いに施設に行く度に
『もっと出来たんじゃないかな、』
『ヘルパーさんに入ってもらって、介護タクシー頼んで・・・』
『そうしたら・・・・、』
考えてしまいます。

なかなか思い切れず、いろんな物、引きずったままです。
もう少し時間が必要かなと思ったりします。
ほんとうに残酷な病気ですね。

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