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実家の玄関の鍵を開け、リビングに入ると母はいつもソファに座っている。
でっかいテレビに目は向いている、見ているはずなのに、その顔には表情がない。
私が声をかけて初めて母の目は私を捉える。
私の顔を見て、一瞬戸惑うけれどすぐに笑顔になり『nobiちゃん!!』と言ってくれ・・・・たのはちょっと前まで。
最近は表情こそ和らぐけれど、残念ながら

 『誰・・・・・?だった・・か・・な~・・・・???』

と思っているのがわかる。

母が認知症を発症したのは夫と同じ頃か、少し後だったと思う。

夫の診断が下りた時、母は認知症に関する本、情報をたくさん送ってくれた。
ある時、前後して同じ本が2度届いたことがあった。
あの時に母の異変に気づいていれば。
今から思えば、思い当たることがたくさんある。
でも私は自分のことしか考えず、自分のことしか見ていなかった。

私が母の認知症に気づくまでに一年ほどかかった。
その間、母は自分の力が失われていくことに気づいていただろう。
どれだけ心細かったことか、私はなんの力にもなれなかった。

それどころか、心の中で私は母を責めた。
『何故、病気になってしまったの。何故、こんな時に私を助けてくれないの。』

悔やんでいる。今さらだけれど、この8年間、母をほとんど看られなかったことを悔やんでいる。
夫の病にばかり目を向けて、自分自身の心の余裕を失っていた。
父、母だけでなく、息子や娘、そして自分のことも後回しにしていた。

『夫の病気』を大義名分にして、私は自分のするべき事をして来なかった。
『無理』 『出来ない』 だって、私はこんな目に遭ってるんだもの。
こんな状況で何ができる?無理、そんな余裕はない・・・・

『夫の病気』にかこつけて、たくさんのことを投げ出して来た。

時間は戻せない。

母ともっと話しをしたかった・・・、もうかなわない望み。

自分がしっかりしていたらもっと母と向き合う時間も作れたのに。
母が認知症になったということは事実として私の中にあったけれど、それを心で感じて来なかった。
感じないように努めて来た。
きっと余りに悲しすぎるから。つらすぎるから。

母の発症から8年近くも経って、今やっと私は母が認知症という病気になってしまった悲しみを味わっている。
 
  悲しいよ、かなしいよ、カナシイヨ

認知症家族の思い | コメント(2) | トラックバック(0)
コメント
悲しいです
私も母がアルツハイマーと診断されて8年たちました。1000キロ離れたところに嫁いで30年。10年前までは元気でバリバリだった母。1年に一度くらいしか帰ってなかった。自分の記憶がおかしいときづいていたはずなのに電話ではいつも元気だよって。寄り添えなかった自分に腹立たしい。そして8年前からは1か月に一度は帰っているけれどもう遅い。せめて10目年前に帰って寄り添いたい。お母さーんごめんね。といつも心のなかで叫んでいます。こんなこと書いていたらまたまた涙がでてきました。悲しいです。
No title
いもちゃんさん、

お母様と1000キロも離れて暮らしてらっしゃるのですね。
私は実家までせいぜい一時間ちょっとですが、それでも行き帰りにいろんな事を考えます。
特に帰り道はさまざまな思いが交錯して涙を流すことも。
月に一度の1000キロの道のりはさぞかし大変なことと、お察しします。
悲しいけれど、できるだけ穏やかな日を☆☆☆と祈るばかりです。

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