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地震。我が家の場合、

2011/03/13 Sun 12:45

今回の地震被害の大きさに言葉もありません。
被害に遭われた方々が少しでも早く平和な日常を取り戻せますようにと祈るばかりです。


地震が起こった時、私とデイがなかった夫は家に居た。
私はPCの前、夫はリビングに座り音楽を聴いていた。
最初の揺れで『これは大きいかも、』とガス湯沸かし器を消し玄関の扉を開けに行って戻ると、夫も立ち上がっていた。
その頃には戸棚ががたがたと音を立てて揺れ、棚の上の物が落ち始めた。
夫の手を取り、立ちすくむ。
とんぼ玉用に立ててある棒ガラスが倒れ、とんぼ玉もころころと転がる。
本が落ちる重たい音、サイドボードの扉が開いて、私が焼いたガラスたちが落ちていく・・

テーブルの下、と思ったけれど、夫は
『危ない!危ない!』と私の両手を握って固まっている。
テーブルの下へ入るのは無理。
何も落ちてこない廊下、玄関への廊下まで夫をひっぱり、そこで揺れが収まるのを待った。
揺れは長く、長く続き、やがて収まった。

この日、息子、娘、共に都内に居た。
息子は男の子だし、居るであろう場所もわかっているのでそんなに心配しなかった。
が、娘は電車で移動中かもしれない・・・。
娘からはすぐにメールが入り、東横線の電車の中にいるという。
余震が続き、高架の上で止まった電車の揺れは大きく、かなりの恐怖の様子。
始め、娘のメールに『橋の上』とあったので、私は多摩川を渡る陸橋の上なのかと思った。
TVでは津波の危険性を伝え、海岸、河口には近づかないように呼びかけている。
一瞬あわてたが、次のメールで川の上ではないことがわかりちょっとだけ安心。

一時間程して、最寄の駅まで電車が進み、降りることができた。
幸い携帯を2台持っていて、ウィルコムが通話できたので、電池切れまでは話も出来た。

電車は降りたものの、家から遠く離れ、見知らぬ土地、帰る手段は皆無。
TVでは地震の大きさや震源地、津波の情報は流れているけれど、娘が立ち往生している辺りの情報は一切流れない。まあ、あたりまえだ。

娘にどんな指示を与えたらよいのか・・・、
とにかく、コンビニで携帯の充電器、当面の水、食料を調達するようにメールを入れたが、
すでに娘は、私が送ったリストに加えてカイロ、電池、手袋マフラーなどの防寒具までゲットしていた。近くに100円均一があったらしい。

今回、ツイッターで得た細かな情報アドバイスがとても役にたった。
中でも、早い時間に、原口一博元大臣の
『無理して帰宅されないようにしてください。安全を確保出来たら、動かないでいることも大事です。』
というツイートで、今夜は戻れないと覚悟を決めた。

そうなると次は、女性の道連れを探し、安全に夜を過ごせる場所をみつけること。
とにかく土地勘があり、確実に避難できる場所のある渋谷へ、と並んだバスで、まもなく横浜へ帰る女性を2人発見。最後までご一緒させていただいた。

暗くなると、少しづつ、帰宅難民受け入れ施設の情報があがってきたので、ピックアップして連絡。
娘もツイッターにログインして自分でも情報を探しつつ、ひとまず落ち着く場所をみつけたのが10時過ぎ。

娘が居た渋谷は、それはそれはたくさんの人であふれ、いろんな人の有様を見たようだ。

夜中に東横線が動き、横浜まで。
一緒に行動していた女性の親戚のおじさんが家まで車で送ってくださり、夜中2時半頃帰宅。

娘は、まあ、3日間、篭城できるくらいの完全装備で戻ってきた。
(^^)
前日からケーキや菓子パンばかり食べていたのに、1キロ減ったそうだ。

息子とはなかなか携帯もメールも繋がらなかったけれど、息子が居る場所が帰宅難民受け入れをいち早く表明したのをツイッターで確認、彼については心配しないことにした。


夫はずっと流れるTVの地震情報に、わからないながらも不安定。
家の中を歩き回りいろんな物を移動させている。
今回、我が家は電気もガスもストップすることはなかったけれど、もし、避難することにでもなったら、
夫を操縦する自信はないな~。
どんな備えをしたらいいのか、わからない。
認知症家族の思い | コメント(0) | トラックバック(0)
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