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初めて病院へ行く

2004/10/31 Sun 16:00

2004年の10月、私は夫を病院へ連れていく決心をした。
その前の一年ほど、夫の能力の衰えを感じていた。
夫の言動に『まるでアルツハイマーの老人みたい。』と感じたことも覚えている、でもまさかそんなことは有り得ない、あるはずはないと自分自身の思いを否定していた。

ある日、私は夫に私の仕事の手伝いを頼んだ。
昼間焼いたガラスを型からはずしてもらおうと思ったのだ。
ちょっと長い時間焼きすぎたガラスはモルドに食い込んで、微妙な力加減が必要だった。
器用な夫なら、上手に型から抜いてくれるはずだった。

ガラスは和室に置いてあって、夫は作業を始めた。
私は台所で夕飯の支度をしていた。

間もなく、パリンとガラスの割れる音がした。
夫はうまくガラスをはずせず割ってしまったのだろう。

台所から
『大丈夫?怪我しなかった?カケラが危ないでしょ、掃除機かけてもらえる?』

と声をかけた。
『うん、ごめん、割れちゃった。』
と夫の返事。

そして夫が掃除機をかけている音が聞こえた。
聞こえたけれど、どう、考えてもその音はリビングから聞こえる。
おかしいなと思いつつ夕飯の支度を終え和室に行くと割れたガラスとモルドが畳の上に落ちている。
夫は掃除機を片付け終わって、リビングでくつろいでいた・・・・。

おかしい、夫の何かが壊れかけている。
私はすぐに他県で医師をしている弟にメールを書いた。

年のせいと言うにはあまりにもひどい最近の物忘れ、そして今日の掃除機かけ違い事件。

弟からすぐにその週末彼の勤める大学病院に来るようにと返事がはいった。
弟は専門が違うので、彼の同僚の医師の予約を取ってくれた。

弟から返事をもらって、私は夫に言った。

『<物忘れ外来>っていうのが世の中にあるらしいの。
弟の大学にもあるっていうから行ってみない?』

夫はあっさりと同意した。
『まあ、病院に行って、それで悪くなるってこともあるまい。』


週末、私は二百数十キロの道を運転して病院へと向かった。
午前11時に着いて、CT MRI その他の内科の検査を夕方までかかって終わらせた。
その日、CT、MRIでは異常をみつけられなかった。内科の検査結果が出るまでは数日かかるので、次の週末の検査予約をして帰って来た。

MRIでもCTでも特に脳の異常が見つからなかったと聞いて私はひとまず安心した。





2回目の検査に行く数日前、弟から電話がかかってきた。
夫の内科的検査には何も異常がなかったとのこと。
彼は物忘れなどの夫の症状から、甲状腺の病気を疑っていたと言った。
甲状腺の病気にも同じような症状が出ることがあると。
しかし、検査の結果はそうではないことを示していた。
診断は数日後の検査の結果を待つことになった。


2回めは脳の血流を調べるSPECT検査をした。
検査室の前で順番を待つ夫に、アンケートが渡された。
質問事項をみると、鬱病用の検査のようだった。
質問ボードと鉛筆を渡された夫は、名前、生年月日以外、ほとんど○と×だけなのになかなか用紙を埋めていくことができない。
そのうち、『消しゴム』と言い出した。
『え~、斜線で消して書き直せばいいじゃない。』
と言ったけれど、汗をかいて不安そうにボードと鉛筆を握り締めている姿を見て、受付まで消しゴムを借りに行った。夫はていねいに消しゴムで消し、答えを書き直した。
こんな自信のない夫を見るのは初めてだった。


検査後に医師と面談。
医師は夫の脳の写真をみせて、このあたりの血の流れが悪いと青い部分を示した。
これは老化現象だけれど、年齢的にはちょっと早い、他の人よりもちょっと早めに老化現象が来たのですね、と言った。
『軽度認知機能障害』という言葉も言ったと思う。
脳の神経伝達を助けるアリセプトという薬があります。簡単に言うと頭が良くなる薬でしょうか。試してみますか?
夫はこっくりと大きく頷いた。


その後夫がもう少し他の検査を受けている間に弟が私のところへやって来た。
そして、夫は典型的なアルツハイマーの初期だと言った。

この辺りの自分の心の動きを私はよく覚えていないけれど、この結果はすでに予測していたことだったので、やはり、という気持ちであまり混乱なく受け入れたと思う。

帰り道、夫とふたりきり2時間半のドライブ、何を話したかまったく記憶にない。
2004年診断を受けた頃 | コメント(0) | トラックバック(0)
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