『癌だったらよかったのに。』

あまりにも過激な言葉。
癌で苦しんでおられる方、ご家族が聞いたら『何と言う事を。』とお叱りを受けるだろう。

認知症も癌も現在の医学ではまだまだ克服することの出来ない難病。
どちらの方がいいなんてこと、言えないのはわかってる。

でも、家族の大黒柱、夫を、子供達の父親を認知症に奪われた私は、

認知症じゃなくて、癌だったらよかったのにという想いをずっと心の隅に隠して持っている。

初めて家族の会へ行った時、先輩方の
『すぐに命に係わる病気でなくて良かった。』という言葉を素直に受け入れられなかった。

たとえ命に係わる病気でも、もし、認知症で無く他の病いだったら、夫は自分の意志を持って病気と闘うことができただろう。
病気に向かう夫の姿を見て、私達家族は応援し、支え、共に病気と闘うことができただろう。
でも、認知症になった夫はいつしか自分が病気であるということを忘れ表立った目に見える闘いを放棄した。

これは病気の夫、父親を支える私達家族にとっては由々しき事態であった。
病気の当事者に病識がない・・・
病気のフォローをしようとしても、本人は病気と思っていないので疎まれる。
大黒柱を失い、生活の不安をかかえたまま、私たち家族は何処へ向かって行けばよいのか・・
病気の夫、父親をどう扱ったらよいのか、家族は手探りの毎日だった。

初期の頃、夫は病気を穏やかに受け入れた。
病気の診断を受けて、彼は病気になった苦しみ、心の痛みを家族に見せることはなかった。
彼は、彼にまだ力が残っているうちも静かに座って時間を過ごした。
家族は彼の苦しみを思い測ったけれど、彼とその苦しみを共有したと感じることはなく、
私達家族は夫を見守っていた。

診断直後の混乱、不安、恐怖、あきらめ、私達家族はずっと夫の病気をいつも抱えて暮らしてきた。
でも、当事者である認知症の夫は家族の闘いの輪の中からいつの間にか消えてしまった。


夫が若年性アルツハイマーと診断を受けてまる7年が経った。
ひとつ後悔していることがある。
私達家族は、夫が自分の病気をどう受け止めたのか、彼の言葉を聞く機会を失ってしまった。

病気の診断を受けてしばらく経った頃、夫は会社を辞めた。
会社に出す辞表を作成する時、夫は何度も何度も書き直した。
書き損じた夫の『辞表』は床に散らばり、それを見た息子は

  『親父、会社辞めるの?』
 
そっと私に尋ねた。

子供達には夫の病気についてまだ知らせていない頃だった。

診断を受けて私は子供達にどう告げようか、迷った。
息子にだけは話そうかと思ったけれど、いずれはわかること、できるだけなんでもないいつもの暮らしを続けたくて、先延ばしにしていた。
でも会社を辞めると決めた時に、
夫に子供達に夫の口から病気のこと、会社を辞めることを話して欲しいと頼んだ。
夫は承諾をしてくれたけれど、
結局、私の願いは果たされることはなかった。

しかたがなかったのだ。
病気になったのは夫、
私や子供達より本人のショック、苦しみの方が大きいに決まってる。
彼だって、子供達にちゃんと話そうと思ったはず。
でも、
きっともう、あの時、彼には力が残ってなかったのだ。
彼だって、どうしていいのかわからなかったのかもしれない。

『しかたがなかったのだ。』

私は自分に言い聞かせて来たけれど、ずっとこの事は心の中でわだかまっている。


あの時、もっと強く夫に言って、夫の病気について話す機会を持つべきだった。
今になると思う。
それをしなかった事によって、夫も子供達も私も、突然私達を襲った病気についての思いに蓋をして、来てしまったと思う。

もし、夫の病気が認知症じゃなかったら、もっと別の病気だったら、私達家族は4人一致団結して病気に立ち向かえただろう。

二人の子供は夫の世話をし、私を手伝ってくれる。
でも、

息子は、『俺には父親は居ないと思っている。』

娘、『お父さんの元気な時の姿がもう思い出せないの。』

これも彼ら二人の偽らざる言葉。

父親はすでに自分達を認めていないかもしれない。
それでも迷子の父親を助け出し、食事の世話をし、排泄の介助をする。
子供達は父親の病気と闘い、父親は病気に身を任せる・・・・
それが認知症という病なのだとわかっていても、どうにも苦しくつらい。

たとえ、命に係わる病気でも、

  病気と闘う夫と時間を過ごしたかった。



  と、思 う の だ。

    け れ ど ・ ・ ・ ・  。


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