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2005年1月

2009/04/08 Wed 15:46

娘は高校3年生。ぴっかぴかの受験生だった。
4月には9年住んだ社宅を出ることになっており、新たに住む場所を探さなければならない状況だった。



2005年1月2日
受験勉強をしている娘に発音の間違いを指摘。おるたーなてぃぶ。


2001年某日
夜中に、何かつぶやいている。寝言?独り言?
『・・・・・わからない、わからない・・・』だけ聞き取れた。

2005年1月10日
パンツいっちょうで爪を切っていて娘に嫌がられる。
本人はズボン下を履いたら、爪が切れないからしかたないと娘の願いを拒否。
ズボン下を履いても、パジャマを着ても、足先は出るから爪を切るのには問題ないんだけれど、勘違い・・。
娘はむくれて険悪なムードに。
『待って、パパぁ、勘違いしてるでしょ。ダイジョブ、このパッチは足首までだから』
本人も自分の間違いに気付いて『そうかぁ』と笑ってくれた。
こんなことがこれからたくさん起こるんだろうな・・。


2005年1月12日
朝、駅まで行って定期を忘れて帰って来た。携帯を忘れていたのには気付いて、出かけに渡したのに。丁度送り出す時に娘が起きてきて、一緒に「行ってらっしゃい」をしたから、いつもの持ち物チェックをしなかった・・

ごめんなさい。


2005年1月15日
何を思ったか突然、マックのOSXを入れ替える作業を始めた。前回は間違ったのでやり直すとか。表示されるコマンドをじっくり時間をかけて読みながら作業を進めて行く。喉まで『片づけは?』
と出かかるけれど、我慢。
OSXのインストールは無事に終了。最終の画面調整に手こずっている。画面調整をするソフトがあるそうで、それがあればすぐに直るからそれを探すということでとりあえずそのままに。彼がソフトを探しに行っている間にヘルツの選択を変えたら、画面が真ん中に収まった。直ったことに気付いているのかな・・。
その後アプリケーションを入れようとしてパスワードの要求でスタック。ヘルプのコマンドが出ているのに気付かないようなので、手伝う。素直に受け入れてくれる。なんとか無事にGoLiveをインストール。続いて一人でelementを入れている。
大事な休日が今日も終わってしまいそうなので、

『このままではお引っ越しできるか不安なんですけど・・』と言ってみる。
『僕も不安です』
思わず泣きそうになった。これは冗談なのか、本気なのか判断のつかないのが悲しい。
『はぁ~?ざけんなよぉ~!!』と言ってやれたら楽なのに。まあ、そう言って責めても問題は何も解決しないけどね。

『お片づけの心づもりや順番はいろいろあるでしょうけれど、私としては目に見えるところからしてもらえると随分気持ちが楽になるんですけれど』と優しく言ってみる。
『そうだろうと思います。』
いつもの彼だ。ほっとする。


2005年某日
夫を送り出して閉まったドアにいつもように、

『無事に一日が過ぎますように☆』
『怖い目に会いませんように☆』

とお祈りをしていたら、娘に

『どうしたのぉ~(@o@)』

と目を丸くされた。

『いや、帰ってくんなよぉ~って、ねっ。』

『あ~、そうね。忘れ物ね。』納得してくれた。


2005年某日
忘れ物をして帰ってきた。捜し物がみつからなくて不機嫌。


2001年某日
時々とっても機嫌が悪い。言葉がきつくて、わかっていてもめげる。


2005年某日
256の新品のメモリーを使わないからヤフオクに出してと渡された。オークション終了後、落札者から電話をもらう。78のメモリーでしかも中古でメーカーも記載の物とは違うと。ただただびっくりして悲しいかった。


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2005年3月の旅行

2005/03/31 Thu 16:01

3月いっぱいを目途に社宅を出なければならず、一駅先にとりあえずマンションを借りることにしました。
勤続30年の旅行の期限もせまり、せっかくの権利を無駄にしないように、というか、家族4人での旅行はタイミングとして今しかないかもしれないと、計画を立てました。父親の病気を知らない子供たちは、親との4泊もの旅行にはいい顔をしませんでした。





3月の終わり、家族4人での4泊5日の旅行が実現した。

行き先は結婚2年目で転勤になり5年暮した九州。
二人で赴任し、5年後に戻った時は長男、長女が生まれ4人家族になっていた。

子供たちは当時の記憶が全く無い。
九州を離れた時息子は2歳8ヶ月、娘はまだ4ヶ月だったのだから無理もない。
昔暮した小さな社宅のアパートに行ってみると、そこは独身寮になっていた。

私たちが住んだ部屋は3階で、見下ろすと下にルルドが見えた。
毎朝、毎夕、ベールを被った信者の女性たちが祈りをささげていた。
そこは何か別の世界のようで、街の色や言葉など私の育った地と何もかもが違っていた。
毎日異国の地を旅しているようなそんな5年間だった。
ここで暮した5年かがよみがえり、いろいろな想いに胸がつまった。
この古いアパートを背景に写真に納まった夫の笑顔は何を思っていただろう。

飛行機で九州へはいり、移動はレンタカーを借りた。
もちろん夫はもう、運転しようとはしなかったし、助手席に座るのも怖がった。

子供たちが生まれる前、九州の白地図を買って、休日事に走り回り地図を塗っていった。
この島原場にもよく行ったものだった。


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2005年2月

2005/02/28 Mon 15:52

引越し先を探しつつ、転居へ向けての準備に気があせる毎日でしたが・・。

2005年2月某日
マックがスリープしなくなった。それだけならまだしも、光ディスクドライバーが開かない。
思いつく事、ネット上のアドバイス、私の触れる範囲の事は全て試したけれど、開かない。
原因はあれだと思うのだけれど、昨日、夫が足したUSBボード。
《スロット3にスリープに対応しないディバイスが・・》ってマックも訴えてるじゃん。
・・・コンピュータのいろんなトラブル、そろそろ私の手にはおえなくなってきた。
もう、触らないで欲しい。

 
2005年2月某日
「計算ドリルやったよ。」と、夫。

「えらい!!」 と私。

「二日分もやっちゃった」

「じゃあ、明日はしなくても大丈夫ね(^^)」



「こらこらそう言う問題じゃないでしょ!」
←大人の計算ドリルを買ってきてくれた娘の突っ込み。



2005年2月某日

冷凍庫を開けてごそごそしている。
「なんでしょう?」
「牛乳を」
「そこは冷凍庫です。」
「あ、そうか・・・。」
「そこは野菜室です。」
「おっとぉ~」
ボケと突っ込みの漫才みたいです。
認知能力が衰えているのを感じる。動作は70代の老人のようにとろい。残酷な病気。


2005年2月11日
一緒にお仕事をしていた仲間達との懇親会が夕方からあった。
背広にアイロンをかけようと思ったら、私服でいいとの事。
カシミアのチェックのジャケットと替えズボン、あるいはジーンズとシャツ&セーター、どちらにするか私が悩む。
ジーンズの方が若々しいし、楽なのだけれど、ちょっとラフ過ぎるかな?と。
あ~でもない、こ~でもないと着替えていると息子が『そのセーターならこのジーンズの方が、』と言って彼の洗濯仕立ての茶系のジーンズを貸してくれた。
確かに色があう。他にも小物を持ってきてコーディネート。
まんざらでもない、というか、とっても嬉しそうに息子の服を借りて1時間以上の余裕を見て出かけていった。

エレベータに乗る間もなく、忘れ物をして帰ってきた。
次は一階まで降りて帰ってきた。
3度目は10分くらい経ってから・・。
彼は今日の懇親会の幹事だったのだ。緊張するといろんなことに気が回らなくなる。
『でもちゃんと思い出して取りに帰ってくるのがえらい!』と言ったら、
『う~ん、情けないね。』と出て行った。

7時に会が終了予定なので、2次会には行かずに帰ると言ったのに結局家に戻って来たのは12時半。無事で何よりでした。会は盛況で楽しかったみたいだし。




診断当時、医師に「今の暮らしが出来るのはあと2年くらい」と言われました。親子4人のなんでもない日常に後『2年』と区切りをつけられ、その2年をどう過ごせばよいのかひとりで考えていました。
子供たちにはまだ夫の病気については話していませんでした。
----------------


2005年2月某日
ブックオフに整理した本を売りに行った。
交通量の激しい道にある上にいつも車が停まっていて行きにくい場所にある。
運よくほとんど店舗の前に停められた。私は運転席。
夫はもう運転をしなくなっている。

彼は店員さんを呼んで後ろから本を降ろして、店の中に。
後ろハッチのドアが全開・・・。
閉めようにも、車がびゅんびゅん通って降りられない。
信号が変わっても曲がって来る車でドアを開ける隙がない。
やっと外に出てドアを閉めようとしたら、紙袋の本が残っている。やれやれ。

でもね、家を出る時には本やカートを積み終えたあと、後ろハッチのドア、後部座席ドア両方、みんな開けたままで助手席に乗り込んで来たのです。
そしていつものボケと突っ込み。

「後ろハッチのドアが開いてます。」

「あっ」閉めて助手席に、戻ってくる。
「後部座席のドアが開いてます。」
「おっと」

ドアはちょっと開いてる訳じゃなく全開な訳です。この冬空に。
私はとっても寒い。だったら自分で閉めに行けって話なんですけれどね、普通なら。


2005年2月16日
夕方5時前に帰ってきた。
最寄り駅の合同庁舎に用事があってそのまま帰宅。

そして、タクシーにかばんを忘れてきた。

今日でよかった。2日前なら、鞄の中には懇親会で集まった大金が入っていたのだ。
ラッキー
大事な物、特に入ってないとのこと。
これで鞄を心置きなく新しくできるし、弁当箱は無事だったし、めでたし、めでたし。


2005年2月19日

引っ越し準備の片づけのための大切な週末なのに、一日本を読んでいる。
兄に勧められてすぐに買って来たけれど、その後TVの上にずっと置きっぱなしだった小説。
漫画じゃない分厚い本を読む姿を見るのは嬉しい。
でも・でも。
結局土曜日は終わり。明日に期待。

2005年2月20日
今日は朝からお片づけ。玄関にいっぱい荷物が出てる。
でもこれはみんな取っておくものらしい。
時間と場所の感覚がやっぱりうまく作動していないのかしらん?
きっと来週の土日は確定申告でつぶれる。
その次は貸し屋探しに行かなければ。
その次は勤続30年旅行。
会社からは退去の書類も届いているんだけれど。
不安なのは私だけなの?

2005年2月21日
会社から帰って来た夫を見てびっくり。
『パパおひげ剃るの忘れて行っちゃったの?!』
『いや、朝時間が無かったから。』確かに今朝はいつもより遅かったけれど・・。
土日の無精ひげのまま会社に行っちゃうなんて・・・。


2005年2月22日

朝の着替え。ランニング姿で『えっと、この上に何を着るんだっけ?』・・何気なく。
ぎょっとしたけれど、軽く
『普通はYシャツじゃない?』
『あっそうか。』

帰宅して開口一番
『お弁当袋どうしたと思う?』
『え!?!?・・電車に忘れて来た???』
『はずれ』
『会社に置いてきた?』
『ブブー』
『う~ん、じゃあ、どこか出先の会社に置いて来た?』
『残念』と嬉しそうに笑う。
と、通勤用のショルダーバッグがふくれてる。
『あっ、この中でしょ。』
『当たり』
と、まあどうでもいい会話なんですけど、彼は自分の物忘れをネタに私をからかったのです。
会社から帰って来た時はたいて眉ねにしわが寄っているのですが、今日は楽しく帰って来たので、私も嬉しい。


2005年2月19日
引っ越し準備の片づけのための大切な週末なのに、一日本を読んでいる。兄に勧められてすぐに買って来たけれど、その後TVの上にずっと置きっぱなしだった小説。漫画じゃない分厚い本を読む姿を見るのは嬉しい。でも・でも。結局土曜日は終わり。明日に期待。

2005年2月20日
今日は朝からお片づけ。玄関にいっぱい荷物が出てる。でもこれはみんな取っておくものらしい。時間と場所の感覚がやっぱりうまく作動していないのかしらん?きっと来週の土日は確定申告でつぶれる。その次は貸し屋探しに行かなければ。その次は勤続30年旅行。会社からは退去の書類も届いているんだけれど。不安なのは私だけなの?

2005年2月21日
会社から帰って来た夫を見てびっくり。
『パパおひげ剃るの忘れて行っちゃったの?!』
『いや、朝時間が無かったから。』確かに今朝はいつもより遅かったけれど・・。
土日の無精ひげのまま会社に行っちゃうなんて・・・。


2005年2月22日

朝の着替え。ランニング姿で『えっと、この上に何を着るんだっけ?』・・何気なく。
ぎょっとしたけれど、軽く『普通はYシャツじゃない?』『あっそうか。』

帰宅して開口一番
『お弁当袋どうしたと思う?』
『え!?!?・・電車に忘れて来た???』
『はずれ』
『会社に置いてきた?』
『ブブー』
『う~ん、じゃあ、どこか出先の会社に置いて来た?』
『残念』と嬉しそうに笑う。と、通勤用のショルダーバッグがふくれてる。
『あっ、この中でしょ。』
『当たり』
と、まあどうでもいい会話なんですけど、彼は自分の物忘れをネタに私をからかったのです。会社から帰って来た時はたいて眉ねにしわが寄っているのですが、今日は楽しく帰って来たので、私も嬉しい。

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