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親の介護

2017/04/03 Mon 11:55

久しぶりにPCの前に座りブログを開こうとしたらパスワードが違うと言われてしまった。
(^^;)
自動ログインに設定していたのだけれど、長期ログインしないと解除されてしまうらしい。
ヘルプを読んでパスワードを再設定、やっと記事画面にたどり着いた。
親の介護について書こうと開いたけれど、時間切れ。

相変わらず忙しくはしているけれど、何とかやっています。
毎年春にやって来る体調不良も何とか乗り越え、後は『ヒノキ』の花粉が過ぎればまた元気になるはず。

また、書きます。



実家のお庭で『むぎ』も春の香りを確かめています。
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遠来の客

2017/01/19 Thu 12:53

お正月6日、朝いつものように実家に着いて間もなく電話が鳴った。
父の古い友人Nと名乗ったその人は、今日これから父を訪ねて行きたいと言う。
突然のことに何と答えてよいかわからず、そばで電話のやり取りを聞いていた父に受話器を渡した。
間もなく父も電話の主を認識出来たようで、N氏が午後訪ねて来ることになった。

父の古い友人、久しぶりの来客、どんな対応をしたらよいのだろう、父にあれこれインタビュー。

父の大阪赴任時代の知り合い、父よりもみっつ、よっつ年下、50~60年近く前に父が就職の世話をした記憶がある、。
父も何故突然やって来るのかはわからない。
現在は大阪に住んでいると思う。(確かに電話の主はこてこての関西弁だった。)
おもてなしはお茶とお菓子ではなくてお酒を出して欲しい。
お客さまは今日、3時にやって来る。

こんなところが父から得られた情報だった。
ひとまず、買い物に出てお酒と肴、簡単な料理の準備をして客人を待った。
その間も父はあれこれ当時のことを思いながらN氏がやって来る訳を探していた。

3時過ぎにやって来たN氏はかなりの高齢と思われたけれど、矍鑠とした紳士であった。
リビングにお通しして会話が始まる。
まずは定石通り、
久しぶりだね、元気だったかな、今はどうしておられる、ご家族は?
お互いの近況を語り合う。

父が尋ねる。
『奥様はどうしておられる?』

N氏、
『早くに家内を失くしましてね、・・・。』

『それは・・大変でしたね、・・』

暫くして、短期記憶の怪しい父がまた『奥さんはお元気かな?』

私が料理やお酒を準備、並べている間に少なくとも父は4回、同じ質問をした。
2度めの時にN氏はちょっと戸惑った様子は見せたけれど、さっきとは違う言い方で奥様が亡くなられたことを伝えた。
3度め、4度目、微妙に言い回しを変え、新たな情報を付け加えて奥様の話しをした。
私はN氏の気遣いを感じた。
父が同じ質問を繰り返していることに気づかないように気遣っているのだと思った。

実は朝、母のヘルパーさんに
父にお客さまが来る!!
どうも父とそんなに変わらない年齢らしい!!
大阪からはるばるやって来るらしい!!
と話すと、『凄い!!それは楽しみですね。』と言いながらも
『大丈夫でしょうか・・。』
来ることは出来ても帰れないお年寄りのトラブルをたくさん見ているヘルパーさんは高齢の来客をちょっと心配していた。
私も、『う~むぅ、確かに・・・』

しかし、87歳というN氏にはそんな心配はいらなかった。
突然の訪問の訳を彼は語った。
毎年受け取っている父からの年賀状が今年来なかった。
(そう、今年父は昨年200通書いた年賀状を一気に60通に減らしている。)
何かあったのではと心配になった。
彼は今引退して毎日ゆっくり暮らしている。
それは昔父が仕事を世話してくれたおかげである。
ずっとそれを伝えたいと思っていた。
それで、今朝新幹線に乗って大阪から父の家にやって来た。

2時間ほど、昔話しをしてN氏は帰って行った。
帰り際、父が『お元気で、』と差し出した手を握って涙ぐんだ。

マルックス6429

夫が若年性アルツハイマーと診断を受けて以来、私達家族の形は大きく変わった。
それは生活の隅々に行きわたり、このブログに綴って来た。
そ中のひとつに友人たちへの不義理がある。

    不義理

夫の病気を理由に、口実にしていろんなことをおろそかにして来た。
自分の中にいろんな思いがあって、元気な友人たちと相対するのが億劫だったんだなと思う。

お正月に訪れた父へのお客様が教えてくれたこと、
私も高齢になって新幹線に飛び乗らなくて済むように、懐かしい友人たちに連絡を取ろうと思う。
まだ、実家通いで時間がままならないけれど、今年は沢山の大切な友人の顔を見に行こう。

そんな今年最初のブログです。
今年も無理せず書いて行けたらと思います。
どうぞ見守って下さい。


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来年もよろしく♪

2016/12/31 Sat 10:43

ばたばたと走り回っているうちに今年も最後の一日になってしまった。
書きたいと思うことはまだまだたくさんあるけれど、時間がない。
今の私の優先順位は両親。

と言っているところに父から電話、
まだ電話をかけられるだけいいかなと思ったりするところまで来ている。

もう少し、ふたりの為に私の時間をささげようと思う。

IMG_6234 (2)

来年もどうぞよろしくお願いします。
良いお年を♪

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心は生きている~夫の涙

2016/10/19 Wed 12:19

リビングに座り、ちょっと見上げると夫の遺影が見える。
顎にちょっと手をあてて微笑んでいる。
病気になってからも夫はいろんな場面でとてもいい笑顔をみせてくれた。

そんな夫が涙を見せたことがある。
それも病状がずっと進んで意思の疎通も難しく、食事、排せつ、生活、すべて全介助の状況になってから。
ひと月のうちショートステイとデイサービスを半々に繰り返し、なんとか自宅で暮らしていた。

  当時の病状

そんな時、息子が目指していた試験に合格した。
それは我が家にとって、とてもめでたいことだった。
息子の将来を決める大切な試験、私はひとつ肩の荷を下ろし、大喜びをした。
ショートステイから戻った夫をリビングに引き入れるやいなや、夫に抱きつき

『ぱぱぁ~! 合格したの!!
  N君が試験に受かったのよぉ~♪
   すごいでしょぉ~!!
        よかったぁ~!!』


夫に息子の合格の意味が伝わることは期待していなかった。
ただ、ただ、自分の喜びを夫にぶつけたくて私は夫に抱きついた、
 と言うか、彼の胴体をぎゅっと抱きしめながら自分の喜びを勝手に噛みしめていた。

すると、いつもはでくの坊の様に突っ立っているだけの夫の手がゆっくりと私の背中に当てられた。
そして、ちょっと力が入った。

えっ?・!

夫を見上げると、彼の頬を涙が伝っていた。
夫は笑顔ではなく、神妙な表情をしていた。

『わかるの・・・?
    わかるの?
合格したこと、わかるの?』

夫の首が少し揺れたと思う。
頷いた、と私は思っている。

合格の意味はわからなかったかもしれない。
でも、私がむっちゃくちゃ喜んでいること、嬉しいこと、幸せなこと、
その気持ちを彼は理解したと思う。
彼のこころが 私のこころを 感じ、一緒に喜びの涙を流したと思う。

 認知症になっても心は生きている。

IMG_5005 (編集済み)


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いっぱい泣いた

2016/09/18 Sun 17:33

2004年10月、夫が若年性アルツハイマー型認知症と診断を受けてから今日まで、いっぱい泣いた。
いろんな場面で涙を流した。
けど、たぶん人前で泣いたことはほとんどない。
泣いたところで何の解決にもならない、人前ではぐっと飲み込んでこらえて来た。
それでも一度だけ、どうしても涙があふれて止められないことがあった。
あれは夫が入所して半年ほど過ぎた頃だったと思う。
夫を訪ねた際に、施設から『ちょっとご相談があります。』と呼ばれた。

夫は若年性アルツハイマー、病気の回復は望めない。
でも、今ある機能、力を出来るだけ維持できるように、病気が進まないようにとケア計画を作って貰っていた。
相談とは、自宅から施設に移って半年、当初の計画通りの形では介護を進められないことが増えている、見直しをしたいとのことだった。

『~~が最近難しく、~~させていただければと思っています。』

『~~が出来ずに~~して行く方向で考えていますが、奥様としては如何でしょうか・・・。』

夫の病状が進んでいることは感じていた。
でもこうしてはっきりとした形で言われると、何と答えてよいのかすぐに言葉がみつからなかった。
そして、自分でも思いがけずに涙があふれだした。
笑顔は作れる、でも涙は止まらない。
突然の涙に自分でも驚いて、兎に角バッグの中のハンカチを探すけれど、こんな時に限ってすぐにみつからない。

見ない振りして来た夫の衰えを突然目の前につきつけられて、狼狽していた。
夫の衰えは確実で、残念ながら否定できない、反論できない・・。
バッグの中をかき混ぜながら、
泣かないで、泣かないで、何の解決にもならない。
自分に言い聞かせたけれど、涙は止められなかった。

夫のために持って来たタオルを使うほど泣いてしまった私、
ケアマネさん、スタッフさん、相談員さん、かわるがわるやって来て慰めて下さった。

夫の診断以来、一番たくさん涙を流した日だったかもしれない。
夫の病気の進行を受け入れた日。





もし家に居たらもう少し力を持続できたかもしれない。
私が頑張れなかったから、それがこの結果・・・
いや、いや、そんな事はない、
もうあれ以上は無理だったじゃない、
仕方のないこと、これは仕方のないこと・・・
これはずっと持ち続ける思い・・・。

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肩叩け券・しのごの

2016/07/02 Sat 11:25

『あっ、言わなかったかなぁ~、それ、使えるの平日のみなんだ。』

『言うの忘れてたかもしてないけど、夜10時以降は使えないんだ。』

『一回、5分までだから。』

最後には、

『無料とは書いてないんだな、これが。』

肩叩け券使用に関して、しのごの、つべこべ、のたまう息子、

それでも、ちゃんと『肩叩き』してくれてます。
なんせ、無期限使用可ということだから、大切にしなくちゃね。
いちいちスタンプ券を出すのが面倒なので、券の画像をスマホで出すだけで使えるように交渉中。

marux1601253.jpg




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誕生日プレゼント

2016/05/25 Wed 10:39

昨日、息子から渡された私への誕生日プレゼント



袋を開けると、

birthday160524.jpg

写真ではわかりにくいけれど、ゴム版とスタンプ台、そしてスタンプを押す為のカードが入っている。

オリジナルのゴム版には

舌を出したむぎの顔と

『肩叩け券』

『Expire date
スタンプが壊れるまで』

と彫ってある。



『何か欲しいものはない?』
と聞かれて、
悲しいかな私にはすぐに答えられる欲しいものがない。
何でも持っているという訳じゃないけど、バッグも靴もアクセサリーも特に興味がない。

正直言うと、欲しいものは

時間、

まあ、無理な相談だ。
だから息子に聞かれる度に

何にもいらないから、ちょっと肩叩いて、と答えていた。

長年の肩こりで実は首が回らない。
運転する時に後方確認するにも『あいたたたぁ~』の状態がずっと続いている。

そして、息子に渡されたのがこの『肩叩け券』
肩叩きじゃないところに彼の拘りがある。

このゴム印、せいぜい大切にして肩、叩いてもらおう。

娘から?
実は娘にはTVショッピングを見て、私がリクエストしてある。
間もなく届くと思うけど、アップするかどうかは・・・、ふふふ、

(^^;)

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父のお出かけ、

2016/04/26 Tue 14:07

この日の外出は年の初めの頃に決まった。
外出と言っても家から徒歩10分程のホテル、
父の昔の仕事仲間が毎年集まる会。
多分数年前、父が最高年齢、長老になってこのホテルで開催されるようになった。

期日が決まってから私はこの日のスケジュールを空けていた。
数時間であっても母を一人で置いてはおけない、一緒にお留守番するためだった。

一月位前から『お留守番よろしく頼むね。』
毎回会う度に父からこの日の確認が入った。

『大丈夫、ちゃんと空けてあるから、11時前には来るからね。』

何度同じ返事をしたことだろう。

そして前日の夕方、父からの電話。

『なんだかフラフラして調子が悪いんだ、明日行くのは難しいと思う。
nobiちゃん、明日行って会費だけ届けて貰えるかな。』

う~~ん、
最近父がちょっとふらつくと訴えていたのは知っている。
何回か車を走らせ様子を見に行った。
でも、水分をとって安静にしていれば復活、と言うか、私の顔を見れば元気になっている気がする。
確か去年も、一昨年もこの季節、父は同じような状態だった。

『わかった、明日になったら調子が戻るかもしれないから、明日また考えよう。
明日まだ具合悪かったら、私が会費を届けるから。
じゃ、明日行くからね。』


と言う事で電話を切った。

翌日、お仲間との集いの日、実家に行くと、

『ふうちゃんか誰か来るの?』


『えっ??来ないけど、仕事行ったし。』

『お婆ちゃんはどうするの?』

『えっ??だから私とお留守番。』

『えっ?!nobiちゃんも行くんじゃないの?
席を用意してあるよ。』


えっえ・・・えぇ~~~?!?!?!?!!!!


なんだか話が違う。
父の頭の中では私と父が一緒に行くことになっている。

いや、いや、それは違うでしょ、あれこれ話しているうちに今度は

私が父の代わりに会に参加することになって行く・・・・。

『僕がお婆ちゃんと留守番してるから、』

いやいや、ち・が・う・ぅ~!!

『だって、全然会ったこともない叔父さんたちの中に独りポツンと入っても話題も無いでしょ。
皆さん、思い出話しとかしようと思っても何も知らない私がいたら気を使って話しも弾まないかも。
私だって困るし、云々・・・』

なんとか父を説得して集合時間から少し遅れてホテルに到着した。
幹事さんにご挨拶だけして、終わったら迎えに来るので電話をお願いしようと父と一緒に車を降りると、

『さあ、どうぞ、こちらです。』

腕を取られる。

『えっ?いや、 えっ?いえ、
    母がひとりで家におりますので、わたくしは・・、
                   えっ?えっ?えぇぇぇ~~??』


『お席用意してますから、ちょっとだけでも召し上がってください。』

と言う訳で、10人ほどの父のお仲間たちと懐石料理をいただくという光栄に浴することに。

マルックス1603244

30分程で一旦退席して母を見に行くと、むぎちゃんと一緒に無事にお留守番していてくれた。
しばらくして幹事さんの電話を受けて父を迎えに。
みなさんに送られて父も機嫌よく帰宅。
めでたし、めでたし。

 <お料理は美味しかったけど、
 母と一緒にお昼をすでに済ませてなかったら
 きっともっと美味しかったね~。>



要は、
父が会合の前日幹事さんに断りの電話を入れる。
幹事さん慌てる、だって、父のための場所設定。
遠くは栃木、埼玉から70代、80代の老紳士たちが駆けつけてくださる。
 顔だけでも出して下さい!
 ふらふらする?
 それならお嬢さんと一緒に!
 席を用意します!!


まあ、今までお名前だけだった父の後輩のみなさまと面識が出来たのは良かったと思う、
という父のお出かけの日・で・し・た。

次回があるのかな~~、
あるのなら、その時は最初っから一緒に行く設定にして『通訳』として行くつもり。
補聴器をつけたがらない父とそのお仲間たちのために、
(^^)



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病状の変化と支援

2016/03/22 Tue 15:14

あっと言う間に日が過ぎる。
もう桜の便りが聞かれる季節になった。
そして前回ブログを書いてから早ひと月。

(一月ブログを更新しないとブログのてっぺんに広告が出てしまう。)
ば~ぁん!と出てしまった広告を見るといつも考える。
そろそろブログを閉める時期かな~、
ガラスのページと一緒にしてしまおうかな~、迷う。

夫が健在?の時は書きたいことがたくさんあった。
夫が亡くなった今も忘れてしまわないうちに書いておきたいことはまだザクザクある。
でもPCの前に座ってもなかなかこのページを開くことが出来ない。
かつてのような書きたい!気持ちが薄れてしまったようだ。

国民年金の法定免除についても続きをupしなくちゃと思いつつ。
なんだか記憶も遠のいて、正確にあったことを書ける気がしなくなっていた。

そんな時、久しぶりに若年性アルツハイマーの介護体験をお話しする機会を得た。
みなさん、熱心に聞いて下さった。
現場の方々の熱い気持ちが伝わって来た。

夫の介護は終わったけれど、まださ中の方は沢山おられる。
私の持っている情報がお役に立てることがあるかもしれない。
もう少し、頑張って書いて行こうと思う。

  夫の病状の変化とそれに伴って利用した援助をまとめた資料です。
    何かの参考になればとアップしてみます。

 病状の変化と支援


マルックス

<土佐犬のぬいぐるみと一緒にカドラーに納まるむぎ、ちょっと迷惑そう。>


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夫が亡くなって以来、初めての事に沢山出会った。
その中のひとつが、『国民年金保険料過誤納額還付・充当通知』

亡くなった夫の年金手続きをしてからほぼ3か月経った頃、

『国民年金保険料過誤納額還付・充当通知』なるものが届いた。

初めて聞く言葉だった。
必要事項を記入押印のうえ、提出するようにと書いてある。
2年過ぎても還付請求の提出がなければ時効により払い戻しを受けられなくなるそうだ。
とにかく書き込んでポストに入れた。

過誤納額の還付、要は払い過ぎた年金が返ってくる、という事らしい。
それは夫が亡くなって数週間経った頃、夫の年金手続きに出かけたところから始まった。

年金の手続きは本来は最寄りの年金機構に行くのだけれど、『街の年金相談所』でも同じ手続きが出来るし、そちらの方が空いている、と区役所の窓口で教わった。
最寄りの年金機構には何度も行く機会があったけれど、ほとんど毎回『てめこのやろ』なめに遭わされて行かずにすむならそれに越したことはない。

   障害年金申請時の『てめこのやろ事件』

それに『街の年金相談所』の方が近いし、帰りにウィンドウショッピングもできる。
私は迷わず『街の年金相談所』を訪れた。
ところがどうしたことか、その日は『街の年金相談所』も待合室は人であふれていた。
結果私が窓口の職員さんと向き合えたのは2時間後。
やれやれ。
それでも、必要書類に書き込み、必要書類を提出して帰って来た。
窓口が空いてはいなかったけど、ひとまず『やることリスト』から年金関係を消す事が出来た。

翌朝、私の携帯が鳴った。
昨日窓口で対応してくれた職員さんだった。

~~~
ご主人さまは障害年金を受けられてからも国民年金の保険料を払っておられましたね。
障害年金を受けておられる方は国民年金の法定免除を受けられます。
そんなにたくさんではありませんが、納め過ぎた年金が返って来るかもしれません。
昨日は大変混雑していて窓口でお会いした時には気づきませんでした。
今、書類を見直していて気づきました。
今日、この書類を提出してしまうと手続きが確定してしまって、もう、還付が受けられなくなってしまいますので、もう一度窓口に来ていただけますか。
~~~


だいたい、こんな内容だった。

わぁ~お!!

この法定免除についてはこのブログにも何度か書いた。

    素晴らしく前向きなコメント

もうすっかり忘れていた、いや、思い出したくない話しだった。

納め過ぎた年金が返って来る?
にわかには信じがたいが私は再び、『街の年金相談所』へ出かけた。

そして、『街の年金事務所』で10分ほど説明を受けた後、一旦戻された書類を持って、
あんまり行きたくない日本年金機構へ向かった。

malux160214.jpg





公的援助・福祉制度 | コメント(1) | トラックバック(0)

死なないよぉ~

2015/12/15 Tue 13:23

夫が亡くなってすぐの頃、初めての経験ばかり、
手引きを読みながら、いろんな書類集め、手続き、連絡、
 走り回った。

夏前にちょっと段落して夏休みに入ったのが間違いだった。
夏が終わり、秋、冬のガラスのイベント準備が始まって、つい残った手続きを後回しにした。

残った手続き・・・、ややこしいから残っていた訳で・・・
12月半ば、最後のイベントの搬出を終了、今まさに、残った夫関係の仕事に襲われている。

あ~めんどうくさい!!
年内になんとか・・
  う~ん、出来る気がしない。

『ど~して死んじゃったのぉ~?
  私をこんなひどい目に遭わせて、まったくもぉ~!』

夫の写真に呪いの言葉を投げかける。
写真の夫は笑顔のまま、
答えない。

認知症と診断を受けて3~4年経った頃だった。
会話のキャッチボールがそろそろ怪しくなって来た頃、
夕食後夫はソファにごろっと横になってしばらく、うとうとし始めた。

『パパ!まだ寝ないで、起きて。』

生返事はするけれど、夫は目を開けてくれない。

まだ、歯も磨かなくちゃだし、パジャマにも着替えて欲しい。

『お~い、起きてくださぁ~い。』

反応なし。

ちょっとふざけてみた。
ドラマのシーンのように、夫に取りつき揺さぶる。

『死なないで! パパぁ~!死んじゃいやぁ~!!』

すると夫ののんびりした声が聞こえて来た。

『しなないよぉ~、しなない。』



夫が亡くなって半年以上が過ぎた。
彼が家に居ないことには慣れているけれど、
 生活の場面・場面で彼を思う。




<むぎのお父さんはマルチーズなので、放っておくと毛がぼさぼさになる。
  月に一度のトリミング、before after>


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再会

2015/11/09 Mon 11:38


ガラスのイベントの一日、
ブースに立っていると真っ直ぐな視線を感じた。
木曜会でご一緒だったHさん、久しくお会いしていなかったけれど、
やはりご主人様を亡くされたと聞いていた。

お互いに歩み寄って一瞬言葉がみつからない。

友人たちが彼女を心配して、誘い出してくれるという。
まだご主人の話しをすることが出来ずに、家族の会にも出かける気持ちになれない、
そう、彼女は言った。

同じです、私も。

元気にお散歩にご一緒した頃が懐かしい。

どうぞお元気で、またお会いしましょう。

そう言って別れた。

tonbodama151107_201511091122294fe.jpg

同じ病気の仲間 | コメント(0) | トラックバック(0)
今年も七つのアート&クラフトのイベントに参加の予定。
今月中旬に一つ目がある。
なのに、アップできるガラスの写真がない。



ので、可愛いむぎちゃんを。
生後六か月3kg弱になりました。
彼女のおかげで私達家族3人どれだけ癒されているか。
可愛いむぎに感謝。

そして忘れてはならないセラピーモルモット
茶々丸くん。
人間で言うともう40過ぎのおっさんです。
長生きしてね。

cha1509093.jpg


払い過ぎた国民年金の保険料が返って来たことを確認。
大きな額ではないけれど、『やったね。』という気持ち。
とりあえず、めでたし。

さて、ガラス焼いて来よう。


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時間をもう少し、

2015/08/30 Sun 11:55

元気になりつつあります。



国民年金の法定免除について、経過を忘れないうちに書こうと思いつつ、
夏休み、行って来ます。

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夫が亡くなって2か月半ほどが経つ。
忘れてしまわないうちに書いておきたいこと、たくさんあるけれど、
座って書くことに集中できないでいる。

体調が悪い、とは言わないけれど良くもない。

『お疲れがでませんように。』
たくさんの方に心配していただいた。

でも疲れているのはどうしようもない。
何をどうしたらこの疲労感から抜けられるのか。
何をするのも億劫でうんと気合いを入れないと動けない。
何でもない日常の家事をするだけでいつの間にか夕方になってしまう。

お疲れが出ないように~~、
   どうしたらいいのか・・わからない



何より嫌なのは、
突然言われのない不安感に襲われること。
暗いマイナスの感情がずんと胸の中に落ちて来る。
でも何故?何が原因なのかわからない。

今までも不安感に襲われることは山ほどあった。
でもそれは、その時その時に理由があって納得の不安&恐怖だった。

そりゃぁ~、
夫に先立たれた未亡人としてはこれからの人生~順風満帆ですっ!!
と、高らかに宣言するつもりはないけれど、
取り敢えずひとつひとつ手続きも進んでいるし、
かつての様に立ちふさがる大きな不安の山はないはず。
今、こうして襲ってくるマイナスの感情の正体がわからない。

これが、もしかして、所謂、う・つ・と言う奴だろうか。

この負の感情は突然襲ってくる。
掃除をしていても、車を運転していても、家族とバカ話しをしていても、
襲われた瞬間、すぐに大きな深呼吸をしてこの負の気持ちを逃す方法を今習得しつつある。
きっともうすぐ、このマイナスの塊を追いやることができるだろう。


mugi1506162.jpg

しばらく『むぎ』とゴロゴロ過ごそうと思う。
そのうち私のことだからじっとして居る事に耐えられなくなるに違いない。

しばし、お時間を。


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むぎ♪です!!

2015/07/10 Fri 10:59

はじめまして、『むぎ』です♪
3月16日生まれの女の子、
ミニチュアダックスとマルチーズのミックス犬で~す。
nobiちゃんちの末娘になりました。
先輩の茶々丸くんは世界一のセラピーモルなので、
むぎは世界一のセラピー犬になろうと思います。
子犬のワクチンが終わってお外に出られるようになったら、
メグちゃんちに行ってセラピー犬の心得!教わろうと思います。

 ~どーぞ、よろしく♪~

mugi051215.jpg

むぎにはめっちゃ!癒されている。
夫が突然亡くなって、その後の手続き、処理、そして実家通いに追われる毎日、

改正原戸籍?? 財産評価基準書?? 準?確定申告??

何それ??訳わからないことのオンパレード。
わからないながら、ひとつ、ひとつこなして行かなければならない。

けど、むぎの顔を見るとほっこりする。
残った私達3人はみんな『むぎ』のおかげで優しくにぎやかな時間を過ごす事が出来ている。

もちろん茶々丸くんにもいっぱい癒されてますよ~


cyacyamaru.jpg

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夫が亡くなった日、

2015/05/27 Wed 11:41

真夜中の電話、
『○×△病院ですが、○○○さんのお宅ですか。』
『はい。』
『○○○さんの心臓が先ほど止まりました。ご家族が来て頂くことはできますか?』
『はい、すぐ参ります。』
『どの位かかりますか?』
『渋滞が無ければ20分。』
『わかりました、お待ちします。』

 こんな真夜中に渋滞なんかあるわけないじゃん!
 寝ぼけた頭で自分に突っ込んでいた。

電話の音で起きて来た子供たちも状況を察し、すぐに着替え始めた。

当然だけれど、真夜中のバイパスは空いていた。
事故を起こさないようにより慎重に車を走らせた。

昼間は送迎の車でごった返している病院のエントランス。
違う場所のようにシンと静まり返っていた。
正面に車を置き夫の病室へ。

夫は昼間別れたナースステーション横の病室に居た。
まだ機器に繋がれてはいたけれど、表示画面の動きはなかった。
夫の呼気を感じることはできなかったけれど、その頬はまだ暖かかった。

暫くして医師がやって来て時間を告げた。
これが公式に夫の亡くなった時間になるんだなと思った。

『ご遺体を清めますので、暫くあちらでお待ちください。
  その後、お引き取り頂くのですが、互助会には入っておられますか?』

この瞬間から夫を亡くした現実が始まった。

 ~互助会? いえ、入っておりません。

『こちらでご紹介も出来ますが。』

夜中の一時過ぎ、夫と共にこの病院を出なければならない、
朝まで置いてもらえないということがわかった。

  どうすれば・・・、
  頭の中をいろんなものが駆け巡るけれど、巡るばかりでどうすればいいのか思いつかない。


その時、
真夜中だけれど、夫が亡くなったことを施設に知らせなければと思った。
電話をかけるとすぐに聞きなれた事務の職員さんの声が応えてくれた。
夫が亡くなったことを告げるとすぐに相談員さんから連絡を入れると言った。

ほどなく私の携帯が鳴り懐かしい相談員さんの声が聞こえた。
夫が亡くなってどうしたらよいのかわからない、助けを求めた。
彼はいくつかの選択肢を上げた。
私は迷わず施設に帰りたいと言った。

『わかりました。すぐに手配をします。』

迎えを待つ間、
看護師さんから聞かれた。
『死亡診断書ですが、何通必要ですか?一通5000円ですが。』

 ~死亡診断書?何通?
         何に必要なの?~

ちょうど到着した夫の姉に相談してとりあえず2通と答えた。

夫の姉、兄、妹も駆けつけてくれた。
昼間夫が息を吹き返し、ひとまず安心と別れたのはほんの半日前。
何故こんなことになってしまったのか、
真夜中の病院でかわす言葉もなかった。

midnight.jpg

夫が施設の彼の部屋に落ち着いたのは午前3時を過ぎていただろうか。
これからの段取りを考えながら家に戻った頃には夜が明けていた。




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夫の心臓が止まった朝、

2015/05/23 Sat 22:10

月曜日の朝、子供たちを送り出した後、私は実家へ行く準備をしていた。
夫は朝一で病院に連れて行ってもらえるはず、
なんとか痛みを取ってもらえますように☆☆☆
命の心配なんてしていなかった。

あれこれ家事を片づけていると電話が鳴った。
息子から。

『驚かないで聞いてね。
今、○×△病院から電話があって、親父が心停止したらしい。
延命措置をどうするか聞かれたので、とりあえず、お願いしますと言っておいた。』

何を言ってるんだろう、心停止?延命措置?
えっ?誰の話し・・・・・?

言葉は受け止めても、その意味が伝わるまで時間がかかった。
病院に行かなければ、
娘に連絡しすぐに戻るように、
次、父に電話をした。

『ごめんなさい、今日は行けないかもしれない。
食料倉庫を探して、なんとか食いつないで。』

父はもちろん驚いたけれど、こちらは大丈夫だから気にせずに夫の元に駆けつけなさい、と言ってくれた。

夫の姉に電話、
『驚かないで聞いてください。心停止と連絡を受けて今から駆けつけます。
○×△病院です。』

私の弟から電話、
『今おじいちゃんから電話があった。病院はどこ?行きます。』
『ありがとう。お願いします。』
父が弟に知らせてくれたのだ。

ほどなく戻ってきた息子と娘と共に病院へ。

一階のER前、施設の相談員さんが待機して下さっていた。
そしてドアの横にはピッカピカの夫の車椅子・・・、
主の居ない車椅子が置かれていた。

相談員さんから経過を聞いた。
夫は施設から朝一で受診した。
施設からの車の中、夫は眠っているようだった。
病院に着いて皮膚科の待合室、夫の反応が無く、すぐにERへ。
待合室に居る間に夫の心臓が止まったと言う。

状況の説明を聞いているうちにERの中に呼ばれた。
夫を診て下さった医師からの説明。

今、CTを撮っています、ほどなく戻って来るでしょう。
極度の脱水症状を起こしています。
水分不足で血液がドロドロになり血圧が測定できません。
水分を補うために点滴をしますが、結果、腎臓、心臓に負担がかかり耐えられないことも考えられます。
また、血管が細くなっていて、安定的な点滴が出来ません。
鼠蹊部、または首の部分からの点滴も考えています。
心臓がどれだけ持つか、予断を許さない状況です。

たぶんこんな説明だったと思う。
混乱する私の頭の上を医師の言葉が通り過ぎていった。

ストレッチャーが入って来た。
夫だ。
駆け寄ると彼は目を開けていた。
子供たちと声をかける。

夫は大きく目を開いた。
後で、娘はあの時父親が笑っていたと言った。
今、私はその言葉を信じる。

一度止まった心臓が動きだし、夫は息子、娘、妻と会うことができた。
久しぶり家族4人が揃って、夫が笑顔にならないはずがない。

夫はまた検査のために運ばれて行った。
私達は入院の手続きをとるための事務手続きを終え、夫が入院の病棟へ移るのを待った。

そして私の弟が到着した、彼は医師なので、ERで担当した医師と話しをしてくれた。
CTの写真を見て、脳の委縮は相当進んでいるというのが一致した意見だった。
それと、脱水の数値も非常に高く、なかなか見ない数字だと言う事・・・。
難しい状況であること・・・。

しばらくして、夫はナースステーションの隣、重篤な患者用のベッドにひとまず移されて来た。
私達は夫と再開した。
夫の兄弟たちも駆けつけてくれた。
ここで、夫の目が開いたのかどうか、私には記憶がない。
ただ、昨夜に比べて夫の苦しみが少し薄らいでいるように感じた。

夫はどうなるのか。
弟は言った。
皮膚は体を守る大切な部分、これだけのダメージがあるのは厳しい。
血液がドロドロになったことで、また脳に新たなイベントが起こっているかもしれない。
その場合、体に麻痺が出る恐れもある。
ただ、今左右の手の動きを診たところでは麻痺は起こっていないように見える。
経過を見て行かないと・・まだ見通しは立たない。

ナースステーション横の病室には他にも重篤な患者さんが寝ていた。
長居は禁物。
私達は思い思いに夫に声をかけ、退出した。

この時点で、私は夫は命を拾ったと思った。
時間はかかるかもしれない、でももう一度帰って来る。
きっと回復する。

ひとまず、子供たちと家に戻った。

その夜12時過ぎ、家の電話が鳴った。




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夫が亡くなる前、

2015/05/20 Wed 09:24

夫が亡くなる一週間前、火曜日の夕方、施設の相談員さんから電話を貰った。

 夫が
~微熱(37度8分)を出しているので、今日、皮膚科の受診をしました~

私はグループ展の搬入を前日に終え、5日後に迫った春一番のイベントの準備に追われているところだった。

37度台の熱・・、夫は夏場に平熱が37度になることも多かった。
元気だった頃は殆ど熱など出したこともなく37度という熱に私は大きな意味を感じなかった。

夫のかかっている皮膚科は近くの総合病院だったけれど、火曜日だけちょっと離れた大学病院から診察に来ている医師が現在の主治医だった。
つまり、夫の主治医は火曜日しか近くの総合病院にやって来ない。
夫は2週間に一度、主治医の診察を受けに私と通っていた。
前の週の火曜日に受診したので、もし何もなければ、次の火曜日が受診予定日だった。
私は予定を夫のために空けていた。

でも、この日、微熱があったために、念のため、夫は施設の看護師さんに付き添われて受診し、血液検査を受け、特に心配するようなことは見つからず、抗生物質を処方されて戻って来た、との報告だった。

私は相談員さんにお礼を言い、夫をよろしくお願いします、と頼んだ。

夫の施設には介護士さんが居て、看護師さん、療法士さん、相談員さん、栄養士さん、たくさんの方が夫を守って下さっている。
実家の両親よりもよっぽど安心な状態、私はそう考えていた。


土曜日、ガラスのイベントを明日に控えた朝、施設の看護師さんから電話をいただいたい。
夫の熱は下がらない。でも高熱でもない。
ただ、本人がとても苦しそうなのと、明日は日曜日で何かあっても病院が休みなので土曜日・今日のうちに受診します。
結果はまた受信後に、

私は再びお礼を言って夫を施設に託した。

土曜日、夕方、受診して血液検査、尿検査をしたけれども特に大きな不安材料は見つからなかった、と連絡を受けた。

私はこの時点で余り心配していなかった。
だって、前の週に行った時、夫は食事を完食していた。
おかずは刻み食だけれど、ご飯は普通のご飯。
この病気は食べられなくなったら覚悟しなければならない。
食べることを忘れてしまったら、体力も失ってしまう。
でも夫はまだ66歳、ちゃんと食べられるだけの力が残っている。
彼には力がある。

日曜日、今年一番の陽気、初夏と言うには暑い一日だった。
野外での手作りアーティストの市は大盛況。
私も沢山の方に私の焼いたガラスを見て頂くことができた。

アート市が終わり夕方、夫の施設に向かう途中、施設からの電話。

 ~夫がとても苦しんでいる、状況を見て貰いたい。~

     ~今向かっています。すぐに参ります。~

自室に横たわる夫は本当に苦しんでいた。
もちろん言葉は出ないけれど、全身で痛みを、苦痛を訴えていた。
その痛みは波のように襲ってくることが何も言わないけれど、伝わって来た。
声をかけても伝わらない、苦しむ夫の姿に為す術もなかった。

ほどなく夫の部屋に来てくれた看護師さんと話した。
痛みの、この苦しみの原因がわからない。
明日、病院へ、とにかくこの痛みを和らげることを最優先に。

翌日、私は実家の父と母を看に行く予定だった。
イベントが重なり、一週間両親の元へも行っていない。
そろそろ食料が尽きる頃。

私は看護師さんに、翌日月曜日に病院に連れて行ってやって下さい。
どんな方法でも、この痛み、苦しみを取り除いてやって下さい。
たとえ、それが彼の命を縮める結果になったとしても。

と、言いながらも私はこれが彼の命に係わる事態なのだと思ってはいなかった。
再び夫を施設に託し、日曜日の夜7時、苦しむ夫を残して家に戻った。


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タイミング

2015/05/07 Thu 17:48

夫は突然逝ってしまった。
病気で療養していたわけだから、いずれこの日が来ることはわかっていた。
でも、それでもまだまだ先のこと、そう思っていた。

夫が特養に入所してほぼ一年と5か月が経つ。
告白すると、この一年数か月、夫が家を出て以来、私はずっとポンコツ?!だった。
夫が居た時には頑張れたことが何も出来なくなっていた。
対外的には迷惑をかけることの無いように一生懸命やったけれど、家に戻ると全く使いものにならなかった。
沈んだ心のまま何も出来ずに過ごしていた。
夫が家を出て一年が経ち、巡って来た春を漸く感じられるようになったのはつい最近のこと。

そんな矢先、夫は逝ってしまった。
これからもっと夫との時間を作れると思っていたのに・・、
残念で仕方ない。

けれど、

夫が亡くなって10日が過ぎ、もしかしたら夫はタイミングを計っていたのかもしれない、そんな風にも思える。

もし、一週間前に夫が亡くなっていたら、私も娘もてんてこ舞いしただろう。
娘は新しい仕事と試験を抱え、父親が亡くなった朝一睡もせずに試験会場へ向かったかもしれない。
私も3月末に体調を崩しMRIを撮ったばかり、滞った仕事の締め切りに追われていた。

もし、また、一週間後だったら、息子には動かせない仕事が山ほど控えていた。
仕事柄、スケジュールの調整に四苦八苦しただろう。

そう、この一週間だったからこそ、私達家族は3人揃って病院に駆けつけ、ERで一先ず戻って来た夫に会い、3人揃って夜中の臨終に立ち会い、夫が旅立つまでの数日間、彼と彼の部屋で過ごすことが出来た。
お別れの会の後のゴールデンウィークの休日も有難かった。
ちょっとの間だけれど、いろんな手続きのことを忘れてゆっくりと休むことが出来た。

最期、体中の痛みに耐えながら、夫は一番良い日を選んでくれたのだと思う。
残された私達3人のために。

  (出来れば、真夜中は避けて欲しかったな~)

timing.jpg

少し落ち着いたら、夫の最期のこと書いておこうと思う。

 忘れてしまわないうちに。

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